申如録

日常生活で考えたことなど

杜牧「贈別」

ブログを更新しなさすぎるのも気が引けるので、先日仕事で書いた文章の一部を引用します。------------------------------------------ 先日、杜牧の詩を久々に読んでおりましたら、私の非常に好きな作品である「贈別」に久しぶりに出会いました。曰く「多情…

眠られない夜のたわごと 3

首里城を燃やした人がいるとするならば、首里城を愛していた人であってほしい。燃え盛る首里城はその人の心に深い感銘を残しただろうか。彼にとってその光景はさぞ美しかっただろうか。 木の葉を川に浮かべるとゆらゆらと遠ざかっていく、それによって川が流…

私が見ている赤は他人が見ている赤と同じ色か?

はじめに 「私が見ている赤は他人が見ている赤と同じ色か?」という問いは、多くの人が一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。少なくとも私は幾度となく疑問に思ってきたし、今でもその誘惑に駆られることがあります。 今般、友人からこの問いについ…

令和キッズが恐ろしい

物心つく前からスマホやタブレットを使いこなす令和キッズはまさに新人類だと思う。何歳にもなっていない子どもがスマホやタブレットを使いこなしているのを見ると「こいつらすげーな」と思う(よね?)。われわれはスマホなどの使い方を知識として学んだが…

思考のノイズを除去し、世界の解像度を上げる

ぼーっとするくらいなら感覚を研ぎ澄ませたほうが人生おもしろいのでは、という話です。 私は小さいころから脳内でひとりごとを言うのがクセで、気づいたら映像つきのひとりごとが脳内で勝手に始まっている。これはてっきり自分だけかと思っていたらけっこう…

文章を書く習慣がつかない

文章がうまくなりたいと思ってこのブログをはじめてから早数年、上達のためには習慣化して量をこなすことが必要だとはわかっているが、どうにも習慣化することができない。文章を書くことは向いてないのかもしれない。 そもそもなぜ文章がうまくなりたいと思…

京都に来られない友人の代わりに京都を歩いたことを報告する手紙の一節

今日は京都の下鴨神社に行きました。お参りはこれで3回目くらいだと思います。 下鴨神社では特別拝観がありましたので、入場料をお納めし、本殿を間近でお参りした後、本殿横の三井神社に入らせていただきました。あなたもご存じのとおり、三井神社は私にと…

酷暑を懐かしんで

大いなるものが過ぎゆく酷暑かな 久しぶりに歌を作ってみた。私がここで念頭においたのは時間である。6月中旬までの爽やかな気候とは打って変わって、下旬になると今までにない酷暑となった。しかし、あの酷暑もすでにおさまり、今や気温は平年並みである。…

手ざわり

電子書籍を読むたびにその便利さに驚かされる 電子書籍を読むたびに紙の本が好きになる ひとつのことしかできない手ざわり そういう手ざわり、好きよ

眠られないよるのたわごと 2

オフの日 頭が重いと思ったら低気圧がのしかかっていた 足が重いと思ったら地球がぶらさがっていた 気持ちが浮かないと思ったら過去がまとわりついていた なんでもない一日ひねもす窓の外を眺める 街路樹 街路樹に申し訳ないひとの都合でこんなところに植え…

かたじけない

私が普段使うものは私が作ったのではない。私の服も、パソコンも、家も、私が作ったのではない。道も、電気も、水も、空気も、私が作ったのではない。私は自分に対して何もできていない。ましてや他人や世界に対してはなおさらである。それなのに、私はすべ…

食う寝るところに住むところ

こんな夢を見た。 お椀型の、それもほとんど台形に近いような丘の頂上付近に私がひとり立っている。麓から途中にかけては木が生い茂っているが、頂上に近づきいよいよ地面が平たくなってくると、そこはすべて白いコンクリートで塗り固められ、頂上の私からは…

数式の共通性と独在性

小学生のころ、「数式は世界共通の言語だから誰とでも通じ合える」と聞いて不思議に思ったのを覚えている。たしかに数式の内容は誰にでも伝わるかもしれないが、僕が数式を作ったり理解したりするときのあのイメージは誰にも伝わらないのだから、数式は誰と…

神はどこにいるのか

私は特定の宗教を信仰しているわけではないが、神はいると思う。 私のいう〈神〉は、おそらくみんなが漠然と(あるいははっきりと)考えるような「神」とはちょっと違う。私にとっての〈神〉は、たとえば目の前にりんごがあるのと同じように物体として存在す…

反出生主義について考える

転載にあたって 反出生主義について考える はじめに―反出生主義とは何か 反出生主義について考えてもよいのか 反出生主義とはそもそも誰について考えることなのか 私とは内容的規定を持たない存在=世界である 反出生主義は何を問題にするのか おわりに―反出…

桜の話

梅が散るのと入れ替わりで桜が咲いてきた。 満開の桜、特に夜桜を眺めていると、容易にうつつを抜かしてしまう。きれいだなあと思う。 この時期、(私の勝手な印象では)おじさんたちが「桜は散り際が美しい」とよく口にしている。私はその言葉の裏に「俺わ…

『臨済録』曲解 四

上堂 ―お堂での説法― その4 【原文】 上堂。云、赤肉團上有一無位眞人。常從汝等諸人面門出入。未證據者看看。時有僧出問、如何是無位眞人。師下禪牀把住云、道道。其僧擬議。師托開云、無位眞人是什麼乾屎厥。便歸方丈。 【日本語訳】 臨済がお堂にやって…

長谷寺 祈りの回廊

はじめに 2021年12月28日から12月31日までの4日間、私は奈良県桜井市にある長谷寺の朝勤行に参加し、12月31日の夜には観音万燈会を訪れてきた。長谷寺でのひと時は個人的にとても良い体験になったので、ここでは長谷寺とそのイベントについて紹介するととも…

『臨済録』曲解 三

上堂 ―お堂での説法― その3 【原文】 師因一日到河府。府主王常侍、請師陞座。時麻谷出問、大悲千手眼、那箇是正眼。師云、大悲千手眼、那箇是正眼、速道速道。麻谷拽師下座、麻谷卻坐。師近前云、不審。麻谷擬議。師亦拽麻谷下座、師卻坐。麻谷便出去。師…

『臨済録』曲解 二

前回から話が続いているので、その1を読んでいない方はこちらから 上堂 ―お堂での説法― その2 【原文】 有座主問、三乘十二分教、豈不是明佛性。師云、荒草不曾鋤。主云、佛豈賺人也。師云、佛在什麼處。主無語。師云、對常侍前、擬瞞老僧。速退速退、妨他…

『臨済録』曲解 1

上堂 ―お堂での説法― その1 【原文】 府主王常侍、與諸官請師陞座。師上堂云、山僧今日、事不獲已、曲順人情、方登此座。若約祖宗門下、稱揚大事、直是開口不得、無你措足處。山僧此日、以常侍堅請、那隱綱宗。還有作家戰將、直下展陣開旗麼。對衆證據看。…

『臨済録』曲解 序

はじめに ひまなので『臨済録』を翻訳してコメントをつけていこうと思う。 『臨済録』とは臨済(りんざい)という中国の坊さんが言ったりやったりしたことをまとめた書物である。臨済は唐末期の人だから、彼が『臨済録』に書かれていることを実際に言ったり…

劉琨「答廬諶詩一首並書」

冬はお酒が美味しい。特に日本酒と焼酎が美味しい。気がつけば立冬まで3週間弱、日は目に見えて短くなり気温はぐっと低くなってきた。楽しみな季節が近づいてきている。 漢詩には酒を扱ったものが多く、漢詩集をぱらぱらめくっただけでも容易に見つけること…

好きの話

私は好きという言葉で執着を意味してきたように思う。私が何かを好きだと思うたびに、それは実は執着だったと思う。 だから好きなものには必ず手をつけてきたし、手をつけないことなどありえなかった。むしろ、好きだと言っておきながら好きなものにあまり触…

誕生日のつれづれに

誕生日の朝ごはん 生卵をぐちゃぐちゃかき混ぜる。もとはヒヨコに、そしてニワトリになるはずだったもの。 ヒヨコをミキサーにかける想像をしてみる。あるいは、ヒヨコを生きたまま口に入れて噛み砕く想像をしてみる。ヒヨコは一瞬で絶命する。 溶いた卵に醤…

冬の便り

前略 ご無沙汰しております。 20代の後半にさしかかり、ようやく物事に動じなくなってきました。いや正確に言えば動じはするのですが、すぐに自身の感覚に立ち戻ることで動じてしまった心をいくらか平静にすることができるようになりました。わたしはもとも…

薫習

よく晴れた冬の夜のこと、下り方面の電車内にカップルとおぼしき男女2人が並んで座っていた。互いに何もしゃべらず、かといってスマホを見るわけでもない。心なしか張りつめた空気をまといながら、2人はじっと前を見つめている。 電車があまり人気のない駅…

性欲の話

人間の三大欲求と呼ばれるものには食欲・性欲・睡眠欲があるが、なぜ性欲だけは隠されなければならないのだろう。電車の中でおにぎりを食べても爆睡しても問題ないのに、なぜセックスをしたらただちに捕まってしまうのだろう。 このことについて知り合いに尋…

霧の話

先日の朝、家を出たら霧がすごかった。視界がぼうっと白く霞み、高層マンションの10階から上はまったく見えなかった。街中の音も心なしか静かで、とても穏やかな朝だった。 私は、このまま霧がどんどん濃くなって、一寸先も見えないほど真っ白になって、その…

瓶の話

駅の待合室に、かばんに瓶を忍ばせた男がいた。男がかばんをごそごそと探るたびにキン、と高い音が鳴り、私の意識はかばんに吸い寄せられた。 中村文則の『遮光』という小説にも似たような男が出てくる。その男は黒いビニールで包んだ瓶を人目を避けるように…