申如録

日常生活で考えたことなど

京都に来られない友人の代わりに京都を歩いたことを報告する手紙の一節

 今日は京都の下鴨神社に行きました。お参りはこれで3回目くらいだと思います。

 下鴨神社では特別拝観がありましたので、入場料をお納めし、本殿を間近でお参りした後、本殿横の三井神社に入らせていただきました。あなたもご存じのとおり、三井神社は私にとって京都でいちばんのお気に入りの神社です。いつもは外から拝むだけでしたので、ありがたいお時間でした。しばらくの間ひとりだったと思います。二礼二拍手一礼をすると、懺悔の気持ちが湧いてきました。

 私はいま性に奔放な生活を送っています。懺悔したのはそのことです。しかし、三井神社は私のことを思いのほか責めなかったように思います。私が自分の行いを勝手に正当化している可能性は否定できませんが、性に奔放というのは神様からすれば案外大したことないのかもしれません。あとは私のこころに照らして正直でいられるかどうかだと思います。

 建角身命(たけつぬみのみこと)がお祭りされている中社の屋根に一羽のカラスが止まりました。カラスは何回かくちばしを屋根にこすりつけると、屋根の角にじっと立ち止まりました。私はその光景を死ぬまで忘れないようにしたいと思います。きっと私はあの光景を大切にしなければならないのだと思います。

 目を下に向けると蟻と苔がありました。蟻も苔もその所を得ています。蟻は蟻、苔は苔で不足もなければ余すところもありません。なのに私は私になり切れずこうしていろいろなところをほっつき歩いています。私も早く自分の所を得たいです。

 三井神社を抜けると大炊殿(おおいどの)という神様のための炊事場がありました。そこに来るとたいへんお腹がすきました。お腹がすくというのは私がいま生きており、またこれからも生きたいということであって、なんともありがたいことだなあと思いました。

 その後、三井神社の裏手にまわると「浦の廻廊」なるものがありました。神様へ通じる道だそうです。「うら」は神様のことだそうです。私の地元は「浦和」ですので、ひょっとしたら何かつながりがあるのかもしれません(地誌には「浦和は昔海だったから浦なのだ」と書いてありましたが)。ちなみに浦和には「調神社(つきじんじゃ)」があります。みんな「つきのみや」と呼んでいます。いい神社です。

 今日はいつもより頭が自然に下がった気がします。下鴨神社に行けてよかったです。

二〇二二年七月二十二日

たつのすけ

下鴨神社楼門