申如録

日常生活で考えたことなど

近畿周遊記 その3

 今朝はいつもより1時間以上早い、5時50分に自然に目が覚めた。それでいてまったく眠くないし疲れもない。これは奈良の雰囲気が安定しているおかげだろうか、それとも単に私が浮かれていて眠気も疲れも感じていないだけなのか。とにかく今日は結果として1日を少しだけ長くすることができた。

 私と友人が朝一で向かった先は聖武天皇光明皇后陵であった。ここは国宝等には指定されていないしガイドブックにも載っていない、奈良に住む友人が見つけてくれた「穴場」である。ぱっと見た感じは木が生い茂った単なる丘だが、周囲の静けさも相まって雰囲気は相当に張りつめている。
 陵墓の入り口にはおっちゃんが1人立っていて私たちに話しかけてきた。いろいろな話をしたが、特におもしろかったのはこの陵墓に野生のシカがずっと昔から住み着いているとの情報だった。ひと通り話をした後参道へと進み、ちょっとして振り返ってみるともうおっちゃんはいなかった。
 私たちの他には植木の剪定をしている人が1人いるだけで、陵墓はしんと静まり返っている。シカのフンが所々に混ざった砂利を踏みしめながら参道を進んでいくと、正面に聖武天皇陵、右に光明皇后陵が見えてきた。私は右手から、友人は正面から、分かれてそれぞれ参拝することにした。
 光明皇后陵の周囲は優しい空気で満たされていた。すべてを受け入れてくれそうな懐の深さと悪事を断じて許さない威厳。こういう雰囲気の陵墓もあるのだと思った。

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光明皇后

 参拝を終え、一礼して立ち去ろうとすると「キュー」という音がどこからともなく何度も聞こえてきた。もしやと思いYouTubeでシカの鳴き声について調べてみると、果たしてその通りであった。野生の雌のシカが鳴いたのである。

 シカの鳴き声を耳に残しつつ聖武天皇陵へと進む。砂利道を踏みしめる音もまた心地よく、足取りは心なしか軽くなった。
 聖武天皇陵は光明皇后陵とは違い正面からしっかりと見られる分、背後の丘の存在感がよりダイレクトに伝わってくる。そのせいか、柵の内側に設置された鳥居は明らかに異界につながっているように思われた。しばらく見ていたら鳥居から目を離せなくなってしまったので、すぐさま一礼してそそくさと出口へと向かった。

  陵墓を後にした私たちは、そのまま興福寺へと向かった。途中、奈良女子大学の脇を通り過ぎたので同大名誉教授である岡潔の話になった。
 興福寺の前にはたくさんのシカがいる。人には慣れているはずだが、なぜだか私にはなかなか近寄ってきてくれなかった。友人はシカの背中を撫でながらシカと一緒に歩いていて、私はさすがだなあと思っていた。

 友人は興福寺の友の会に入っているので、私はありがたいことに「お連れ様」として無料で参拝することができた。入り口すぐそばの東金堂に早速入ってみると、様々な仏像がまるで一幅の絵画のように整然と並んでいた。天上界はおそらくこのようなものなのだろうと思わず納得してしまうような壮大さがあった。私は東金堂のお香の匂いが気に入ったのでお香を一箱購入した。3,300円であった。

 続いて私たちは国宝館に入った。国宝館というだけあってラインナップは国宝級の仏像ばかりであり、書きたいことは山ほどあるのだが、長くなってしまうのでここでは「阿修羅像」(国宝)についてだけ述べておく。

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阿修羅像(興福寺HPより)

 結論から言うと、私は阿修羅像に完璧に打ち負かされてしまった。私は文物を見るとき、文物を私の意識が通り抜けていくイメージを持つのだが、鋼鉄の棒のような阿修羅像の腕や上半身にはそれが通用せず見事にはじき返されてしまった。また、阿修羅像の顔は正面から見ると1つだけしか見えないのでさほど問題なかったのだが、斜めから見ると顔が2つ見えるようになり、それに伴って威力が激増する。私は2つの顔の威力から身を守るのが精いっぱいだった。
 阿修羅像にボコボコにされてしまった私が国宝館を出ると、友人は芝生の上に涼しい顔をして座っていた。話によると、阿修羅像を見るのはすでに5回目なので対処法もわかってきたらしい。
 私たちは駅に向かって歩き始めたが、私の眼前には阿修羅像の姿がチラついてしまい口を利く余裕などなく、友人はそんな私を見てけらけら笑っていた。先ほどは私から離れていったはずのシカが、今度は駆け足で近づいてきた。

  近鉄奈良駅から伊勢神宮までは3時間ほどかかる。私たちは奈良線橿原線、特急電車、バスを乗り継いで、伊勢神宮の内宮入り口に到着した。昼食はパンを途中駅で買っていたのでそれで済ませた。私が食べたのは半額になっていた謎のパンとピロシキで、とても美味しかった。
 なお、伊勢神宮は外宮から内宮の順に回るのがセオリーだとされているが、私と友人はそんなことはお構いなしに内宮から先に回ることにした。内宮行きのバスが外宮行きのバスよりも先に来たからである。

 内宮入り口には大きな鳥居、大きな橋、大きな松の木があり、いかにも神社の入り口らしいたたずまいである。鳥居の前で一礼し、右側通行の橋を元気よく歩き出した。ちなみに、順路はそのまま右回りだということに後で気づいたのだが、私たちは左回りで、つまり逆走してしまっていた。外宮には寄らずいきなり内宮から行くわ、内宮に来たら来たで逆走するわ、とんだうっかり屋さんである。

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内宮入り口

 伊勢神宮の木はすべてご神木であり、水はすべて御神酒であり、雰囲気は荘厳かつ崇高を極めている。これは私の筆舌によっては到底記述し得るものではないから、私の印象に特に残ったことだけを述べていきたいと思う。全体の雰囲気について知りたい方は実際に伊勢神宮に足を運んでいただきたい。伊勢神宮が期待を裏切らないことは、私と友人が胸を張って保証する。

 伊勢神宮でまず気づいたのは、山頂から山間をぬって流れてくる気の大きさ、強さ、質の良さである。案内板には天照大御神を祭っているとあるが、初めはこの山の霊妙さが人々の心を動かしたのではないだろうか。あるいは、この山の霊妙さが天照大御神なのか。いずれにせよ、私たちはこの気に当てられて終始「やべ~」と口走っていた。

 先ほども述べたが、伊勢神宮の木はすべてご神木である。大きさ、太さ、オーラ、どれをとっても超一級で、おそらく街中にあるような神社に持ち込めばすぐにご神木として認定されるだろう。
 私はその「ご神木」に指をつけ、私の気をご神木の中へと流す。ご神木の中に大きなエネルギーがあるのがわかる。今度は逆に、私の指を通るようにして、ご神木のエネルギーを体内に吸い上げてみる。加減がわからずエネルギーを吸い上げすぎてしまい、思わず木から手を放してしまう。すると、目の前にご神木の枝がストンと落ちてくる。もうやめときなと言われた気がした。

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ご神木の例

 伊勢神宮の水はどこも綺麗である。滔々と流れる川も、静かに流れる小川も、透明度がとても高い。川には小魚やそれを狙う鳥、小川にはアメンボがいる。水の流れは生きものだけでなく、山の気をも乗せて運んでくる。
 伊勢神宮の水には何かしらの霊力が宿っていることは明らかだったから、私と友人は係員の目を盗んで小川の水を2口飲んだ。味はまったくの無味無臭、口当たりは驚くほどまろやかで、水の角ばったところをすべて削り取って極限まで丸くしたような感覚だった。飲み終えて少し経つと、不思議なことに私たちはすっかり酔っぱらってしまった。アルコールなど入っているわけはないが、バランス感覚はぐらつき視点は揺れ、典型的な酔いの症状が現れていた。私が先に「伊勢神宮の水はすべて御神酒である」と述べたのはこのためである。興味がありかつ健康に自信のある人は、「御神酒」に挑戦してみてはいかがだろうか(自己責任でお願いします)。

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御神酒の例

 内宮ではお祓い(御饌・みけ)を受けた。御饌はまず受付で氏名、住所、願い事を記入し、それを神主に神前で読み上げてもらうタイプのお祓いである。私は願い事がよくわからなかったので「心願成就」に丸をつけておいた。
 時間になり待合室から外に出たところ、日差しは出ているのに雨が降っていた。なんだか神々しい光景だった。
 御饌殿の中はとても静かで、私と友人と神主の3人しかいなかった。神主が祝詞を唱え始めると部屋の静けさはかえって強く認識されるように感じられ、また神の存在が少しずつ迫ってくるような気もする。私は自分の名前が神主によって読み上げられると、神主が私を神に向かって放り投げたような感覚になった。結局、神主は私を神に向かって2回投げた。金額は5,000円と少し高いが、実際に受けてみると5,000円払う価値は十分にあると思えた。

 他に言っておきたいことは山ほどあるが(そもそも本殿について何も話していない!)、あまり長くなっても良くないのでここで終わりにする。 内宮だけで体力も時間も限界だったので、外宮にはいかなかった。

 伊勢神宮を後にしたとき、時刻はすっかり夕方だった。私たちはお腹が空いていたのでひとまずバス停そばの定食屋で夕食をとることにした。私たちは伊勢うどん、手巻き寿司、サザエの磯焼きをがつがつと食べて勘定を済ませると、特急電車で宿泊先の大和八木へと向かった。途中、リュックを開けたら興福寺で買ったお香の匂いが漂ってきた。

 大和八木は駅前がにぎわっていて便利だが、駅から少し歩くと昔ながらの風情のある街並みが広がっている。私たちが今日泊まるホテルは、その風情ある街並みの中にある。
 ホテルではフロントのおっちゃんと美術について話が盛り上がり、おっちゃんが自身のコレクションを見せてくれるという超スペシャルイベントが発生した。プライベートな内容なので詳しくは言えないのが残念だが、僕と友人は興奮しすぎておっちゃんを2時間以上つかまえてしゃべりまくり、その後は共通の友人に電話をかけその友人相手にまた1時間以上しゃべりまくった。今日の締めくくりにふさわしい出来事だったと思う。

  明日は室生寺大神神社を訪れる予定である。今回の旅行は想像以上に楽しめている。