申如録

日常生活で考えたことなど

近畿周遊記2

 9月中旬の「近畿周遊記」に引き続き、10月31日から11月3日までの4日間、私は再び奈良を訪れてきた。この「近畿周遊記2」はその旅行記であり、「近畿周遊記」の続編である。
 前回の訪問は大変内容の濃いものとなったが、今回も4日間で延べ16か所もの寺社仏閣を巡るなど、前回に引けを取らない内容となった。「近畿周遊記2」はその内容すべてを1つにまとめたかなり長い記事(約12,500字)なので、目次から興味のあるところをピックアップして読んでいただいてもかまわない。なお、文中の「*」がある箇所は先の「近畿周遊記」を踏まえている。

 

 

一日目

 東京から奈良まで

 9時48分東京発新大阪行きの新幹線のぞみに乗り込んだ私は、いつも通り左の窓側の席に座った。奈良には約1か月半ぶりの訪問となる。
 天気は雲一つない青空、東海道新幹線の車内には秋も深まりすっかり傾いてきた陽がよく差していた。せっかくの景色なので眺めていたかったが、陽に当たっていたら眠くなってしまったのでブラインドを半分閉めてしばらく寝ることにした。

 名古屋を過ぎ、飛騨の山中のあたりで目が覚めた。相変わらず高度の低い陽はじりじりと私を照りつけていた。
 眩しさをこらえて目を飛騨の山々に向けると、所々で紅葉が始まっているのがわかった。色づきはまだ始まって間もないと見え、車窓からスマートフォンのカメラを向けても紅葉ははっきりと映らなかった。それでも試しに1枚写真を撮ってみると新幹線の速度のせいで斜めに歪んだ電柱が映っており、それを眺めていたらなぜか一般相対性理論が頭をよぎった。

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飛騨の山と歪んだ電柱

 途中木曽川が豊富な水量で滔々と流れるのを見、また水量の割には堤防が低いのを見た。これでは少し危ないのではないかと思っていたら、どこからか「木曽川が溢れちゃったらもう仕方ないよ」という達観した言葉が聞こえてきた。なるほど、木曽川と命を共にしている人たちもいるのだろうなと思った。
 新幹線が西に進むにつれて読んでいた本がだんだん反り返るようになったので、空気が乾燥してきたことがわかった。乾燥した本をぐにぐに曲げるとぺこぺこ音を立てた。

 京都に着くと近鉄線に乗り換え、友人の待つ平端駅へと向かった。友人とは平端駅の天理行きの車内で合流した。
 前回に引き続き奈良の案内人を請け負ってくれた友人によると、最初の目的地は天理大学付属天理参考館(以下「参考館」)とのことであった。

 天理参考館

 天理駅で電車から降りると、駅の柱が紫に染められているのがまず目に飛び込んできた。私の中で天理カラーといえば紫だったので、ああ天理に来たんだなという実感が湧いた。
 電車を降りた瞬間から薄々感じてはいたが、改札を出ると独特の空気感があるのがより強く感じられた。確かに奈良らしい安定感はあるのだが、それに加えて普段使わない脳の一部(私の感覚だと統合失調の箇所)が陰で開いているような感じだ。安定感と緊張感が入り混じった、他にはない独特の雰囲気が天理にはある。

 駅前で友人とたこ焼き20個を平らげ、商店街(天理本通り)を歩いていると、入り口付近でとんでもない価格設定のカラオケを見つけた。この金額でいったいどうやったら採算がとれるというのか。友人と「資本主義の真似じゃん」などと言いながらけらけら笑っていた。

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驚愕の価格設定のカラオケ

 商店街には神具や奈良漬など東京ではあまり見ないものが数多くあり、ショッピングだけでもけっこう楽しめる。落ち着いた雰囲気の喫茶店もいくつかあるから、休憩にも困ることはなさそうだ。また、「天理教」と書いた黒い法被を着た人たち(若い人が多かった)がちらほら歩いているのだが、これがかなり様になっていてかっこよく、私も生活に法被を取り入れたいなと思った。

 商店街をまっすぐ進み、郵便局を右に曲がってまたしばらく歩くと参考館に到着した。場所はかなり辺鄙であり、商店街には参考館への案内表示もないため、初めての人が参考館にたどり着くには誰かに案内してもらうかスマートフォンを駆使するほかない。
 友人が紹介してくれたからこそ参考館に行くことになったが、私はそれまで参考館の存在すら知らなかった。それもそのはず、参考館は広告をまったくと言ってよいほど出していないのだ。友人も奈良の人に紹介してもらわなければ行くことはなかっただろうと言っていた。

 そんな参考館の展示は圧巻の一言だった。全部で3フロアにわたる展示はどれも質が高く、また清朝末期の北京のお店の看板などユニークな展示品も数多くあった。展示の中で特にすごかったのはニューギニアの部族の仮面で、それが展示されている一角は国立博物館を優に凌ぐクオリティだった。機会があればぜひまた訪れたい。
 ただ、参考館には広告をもっと出してほしいと思う。参考館がどういった理由で広告を出さないのかはわからないが、潜在的に参考館を必要としている人は少なからずいるはずである。そうした人たちに参考館を知ってもらい、訪れてもらうようにするのは、豊かな展示品を有するミュージアムにとってのつとめではないだろうか。

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仮面コーナー(参考館HPより)

 参考館のお土産にポストカード(1枚30円!)を3枚購入し、そのまま歩いて石上(いそのかみ)神社へと向かった。途中で2個100円の柿があったので夕食のデザート用に購入した。近くの公園ではおじさんが木彫りをしていた。

 石上神社

 神社の入り口付近に着いた途端、私は腰に鈍い痛みを感じた。実は天理商店街を歩いているときも背中が痛くなったのだが、その痛みはまるで古い皮膚が剥がれ落ちるようにして身体の深部から表層へと移動し、そして消えていったのだった。今回の腰痛もまったく同様で、痛みはいつしか神社の空気に溶けてなくなった。身体が軽くなった。

 石上神社は空気が抜群に良かった。息を吸うのがとても心地よく、気道を摩擦ゼロで通り抜けて肺にダイレクトに空気が届く感覚だった。境内にはニワトリが10羽ほど放し飼いにされており、時たま「ケェーッ!」と鳴くのでびっくりした。
 友人によると年会費3,000円で石上神社の会員になると毎朝健康などをお祈りしてくれるとのことなので、さっそく会員になり「お祈りサブスク」を享受することにした。東京に帰ってきてからも祈られていることを意識することはあまりないが、ふとした時に思い出すとなんだかありがたいような気がする。
 境内は人が多かった(奈良基準なので東京からするとガラガラである)ので国宝の本殿には上がれなかったが、それでも十分に満喫することができた。

 石上神社から天理駅まで歩いて戻ると時間はすでに17時ごろだったので、1日目はそのまま帰ることにした。途中、商店街で奈良漬を2つ買った。

 東大寺二月堂 1回目

 帰りの車内からは満月が見えた。私が月をぼーっと見ていると友人が「三笠の山じゃん」と言ったので「阿倍仲麻呂だね」と返すと、「じゃあ阿倍仲麻呂をしよう(Let’s do 阿倍仲麻呂)」ということになり、夜でも開いていると噂の東大寺二月堂に行くことになった(?)。
 近鉄奈良駅から二月堂を目指して歩いていると、ちょうど真正面に満月があり私と友人は大喜びした。しかもその満月はあの三笠の山の上にかかっている。そんな満月をたよりに二月堂に向かうなんて、こんな「あはれ」なことは滅多にあるものではない。

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三笠の山に出でし月

 時間はまだ18時半前だったが、奈良公園内にも東大寺境内にも人は誰もおらず、まるで東京の深夜3時みたいな雰囲気だった。鹿は寝そべったり草を食んだりしていて、目が少し光っていた。夜の鹿なのでヨルシカと名付けた。

 真っ暗な坂道を月の明かりとスマートフォンのライトをたよりに進んでいくと、二月堂にたどり着いた。ぼんぼんの柔らかい光にうっすらと照らされた二月堂は、ほんとうは生きている人が来てはいけない場所のようでちょっとどきどきした。

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東大寺二月堂

 人は私たちを含めて延べ8人くらいだった。二月堂までの道のりが無音の暗闇だったので、明かりのある建物で人の声を聞いたら少し安心した。手水所からは水の流れる音が響いていたが、夜のせいか無機質な音に聞こえた。
 二月堂の扉は閉まっていたものの、裏手の扉には大きめの隙間があり、そこから中を覗くと観音像が安置されているのが見えた。すると私が観音像を見ているだけでなく、観音像も私を見ている気がして、とてもどきどきした。
 舞台からは奈良の夜景が見えた。建物の群れが発する光は常に揺らめいていて、まるで街の細胞がどくどくと脈打っているようだった。私と友人は舞台のそばに腰かけ、二月堂の雰囲気と夜景を楽しんでいた。

 帰りはスーパーで食材を買い、友人の家で鶏肉の鍋を作った。デザートには石上神社の近くで買った柿を食べた。柿は種無しで食べやすく、味はすっきりしていて美味しかった。

二日目

 朝食

 朝食では人生で初めて奈良漬を食べた。奈良漬は瓜を酒かすに何度も漬け込んだもので、好き嫌いが分かれる味をしているが私にはとても美味しく感じられた。奈良漬→白米→みそ汁の流れが止まらず朝からごはんを2杯も食べてしまった。ごはんをたくさん食べて元気いっぱいの私たちは、さっそく墨坂神社に向けて出発した。 

墨坂神社

 榛原(はいばら)駅を降りて左へ進み、宇陀川をさかのぼるようにして進んでいくと、川に架かった丹塗りの橋が見えてくる。墨坂神社はその橋の向こうにある。
 橋を渡り、神社の入り口までやってくると、しんとした鋭い冷気を含んだ空気が肺へと入り込んできた。空気の感じはどことなく龍穴神社*に似ているが、これは両神社とも水の神を祭っていることが関係しているのかもしれない。

 境内はそれほど広くない。正面に本殿があり、左側に水の神を祭った祭壇がある。祭壇の横には蛇口があり、そこから湧き水を自由に飲んだり汲んだりすることができる。私たちはあらかじめ駅前のコンビニでコップを購入していたので、そのコップで湧き水を2杯飲んだ。水は粘り気があってとろとろしており、これを飲み続けたら苔になってしまいそうだった。蛇口には多くの地元住民が水を汲みに来ていた。
 伊勢神宮の湧き水*のようにすぐに酔うことはなかったが、私は次の長谷寺駅に着いたときに、友人は長谷寺の階段を上っているときに、それぞれ酔いが回った。

 本殿の賽銭箱の横にはたくさんの瓦が積んであり、1枚1,000円で寄付できるとのことだった。私と友人はともに1,000円ずつ払い、瓦に氏名と「神恩感謝」と書いて台の上に置いた。台の上では瓦が3枚で1列となっており、一番下の列には神恩感謝と書かれた瓦が1枚あったので、私と友人は一番下の列にそれぞれの瓦を置き、1列すべてが神恩感謝となるようにした。友人とは「神恩感謝パチンコ」があれば当たりだね、という話をしていた。

 長谷寺

 長谷寺駅を降りて坂道を上下左右に進んでいると、長谷寺の参道が多くのお店で賑わっているのが目に入ってきた。人は最終日に訪れた東大寺を除けば一番多く、また車やバイクも多かった。ゆったりとした運転は基本的に奈良ナンバーで、スピードを出していたのは基本的に「なんば」だった。なんだかほっこりした。

 長谷寺は全体的におしゃれだった。観光客の中には写真映えを狙った人がたくさんいたが、それも宜なるかなといった感じがした。

 長谷寺の長い階段を息を切らして上りきると、国宝の本堂が目に入った。その前には大きな香炉が置かれており、鬼のような形をした生きもの3体が炉を支えるような構造になっていた。調べてみたところその生きものはインドの力像らしいが、重そうで気の毒なので早く救われてほしいと思う。

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長谷寺本堂

 本堂の中をまっすぐ進むと十一面観音菩薩立像がある。これは日本で一番大きな木造の仏像で、10メートル以上もの高さがあるらしい。ありがたいことに、参拝客はその足元まで進み、巨大な観音さまを真下からあんぐり見上げることができる。私たちもこれに倣い、遠慮なくあんぐりさせていただいた。
 観音菩薩の足は触ることができるので足元にひざまずいてみると、なるほど足は参拝客に触られまくったせいで黒くツヤツヤになっている。私は観音菩薩の巨大な足を触っていると子どもが親にじゃれるような心地になったため、願い事は特にしないできゃっきゃっと遊んでいた。隣を見ると真剣な態度の友人がいた。

 本堂を出て舞台に上がると紅葉が綺麗に見えた。これからさらに紅く色づいていき、やがて山は紅に染まるのだろう。 

昼食

 正午を過ぎ、すっかりお腹がすいた私たちは、長谷寺の門前にあるお店で昼食をとることにした。私はそばと山菜の定食を頼んだ。
 前回の山菜定食*と同様、奈良の山菜は相変わらずとても美味しい。奈良の山では肉や魚を食べることはあまりないが、それでも十分に満足できるのだ。
 次の與喜天満(よきてんまん)神社に歩いて向かう途中、名産のよもぎ餅を6個購入した。750円であった。

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そばと山菜の定食

 
與喜天満神社

 長谷寺のすぐ近く、左に曲がれば長谷寺にたどり着くという道を今度は正面に進むと長い長い階段があり、それを上りきると與喜天満神社がある。神社は本当に人が来ないらしく、階段には苔がびっしり生えている。もちろん私たちのほかに人影はひとつも見えなかった。

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與喜天満神社の階段

 境内にそびえ立つ大木や階段の脇を流れる湧き水、澄んだ空気などは伊勢神宮のものに似ていた。個人的には與喜天満神社の質はとても高いと思っているのだが、如何せん周辺に優れた寺社仏閣がありすぎて話題にならないから知名度も上がらないし人も来ない。何とも贅沢な話である。

 本殿の背後には山があり、左側からは山の気が強く流れてくる。私たちは縁側に腰かけてよもぎ餅をむしゃむしゃ一気に食べ、しばらくぼーっとしていた。
 そのときふと、神社とはそこに神がいるから建つのではなく、大いなるものを前にして心が震え頭が下がるときそこが神社になるのだということがわかった。すると、今までは鳥の鳴き声が時おり聞こえるばかりだったのが、一陣の風が吹いて紙垂(しで)が背後でかさかさと音を立てた。このとき感じた畏れとも敬いとも言い難いようなあの気持ちを誰かに伝えることは絶対にできないし、これからもできないままなのだろうと思った。

 次の薬師寺に向かう電車ではなぜか泣きそうになり、友人にばれないようにずっと窓の外を見ていた。

 薬師寺

 友人は疲れて先に帰ってしまったので、薬師寺からは私ひとりで行くことになった。
 薬師寺には西ノ京駅から南へ1分歩くとすぐ到着した。境内はとても広く、参拝客がちらほらいた。
 仏像は白鳳時代のものが多かったが、それらは最近作られたのではないかと感じるほどすべてが新しく見えた。興福寺の仏像をはじめ、白鳳時代の仏像はかえって新しく感じられることが多い。
 薬師寺で一番すごいと思ったのは国宝の東塔だった。地面からがっしりと生えたその姿は、ちょっとやそっとでは揺らがないだろうなと思った。

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薬師寺五重塔


唐招提寺

 唐招提寺には薬師寺からそのまま歩いて行くことができる。世界遺産から世界遺産へと気軽に歩いて行けるというのは、世界遺産に認定されることが薬師寺唐招提寺自身には何の関わりもないことだとはわかっていても、なんとなくお得な気がする。

 寺の境内に入った瞬間、中国成都にある武伺祠博物館を思い出した。唐招提寺には中国的な雰囲気がどことなく漂っており、さすがは鑑真の建てたお寺だと思った。

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唐招提寺入口

 境内はとても広いが人は多くない。手前にはちらほら人影が見えるが、奥に行くほど人が少なくなる。
 金堂の仏像はすべて国宝で、私は中を覗いた途端に圧倒されてしまった(何なら金堂自身も国宝だった)。千手観音菩薩像が特に印象に残った。
 寺の奥の方には教科書で見たことのある有名な鑑真像があり、そのさらに奥には鑑真の墓があった。

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千手観音菩薩立像(唐招提寺HPより)


東大寺二月堂 2回目

 本来なら唐招提寺のあとに西大寺に行く予定だったのだが、時間が足りずに行くことができなかった。これがすこし悔しかったので、代わりに前日に引き続き東大寺二月堂に行くことにした。夜道は暗いとはいえまだ17時半なのに、相変わらず奈良公園にも東大寺境内にも人がいなかった。奈良は陽が沈むとすぐに深夜3時になるらしい。

 二月堂に無事たどり着き、舞台から街の景色をぼーっと眺めつつ歩きまわっていると、二月堂の裏手に山に通じる階段を見つけた。興味が湧いたので階段を上っていくと、ただでさえ薄暗い二月堂内よりさらに暗くなっていき、ついに明かりのまったく無い山道へと来てしまった。
 なぜか前に進むことをやめられなかった私は、スマートフォンのライトをつけて足元を照らしながら舗装されていない山道を歩き続けた。そこが二月堂の真裏であり、したがって安全な場所だと頭ではわかっていても、木の葉が1枚落ちる音が聞こえるだけで全身の筋肉が硬直して戦闘態勢(あるいは逃走態勢)に入ってしまう。夜が危ないというのはこういうことなのだろうと思った。
 恐怖に耐えているうちに私はいつの間にか走っており、するとそのうち川と民家に行き当たった。ここが一応ゴールだと思い、また恐怖に耐えて二月堂へと走って戻ると、あったはずの明かりが1か所なくなっていた。これにはさすがに肝が冷えた。

 無事二月堂にたどり着いて少し休んだ後、ようやく帰途に就くことにした。先日満月だった月は薄雲にかすんでおり、その下で鹿が1匹ぐっすり眠っていた。

 夕食

 夕食は先に帰った友人が作ってくれていた。焼き鮭と奈良漬とみそ汁でごはんを3杯食べた。奈良漬にチーズをのせて食べると驚くほど美味しく、思わずビールをごくごく飲んでしまった。
 

三日目

 朝食

 朝食ではごはん大盛、奈良漬、納豆、みそ汁を食べた。食事が友人と一緒で楽しいせいでもあるだろう、奈良のごはんはとても美味しく感じる。
 この日は終日雨模様だったが、幸いにも強くは降らなかったし風もなかった。 

枚岡神社

 友人の家がある東生駒は近くに生駒山が見え、そこを越えるともう大阪である。枚岡神社生駒山を越えてすぐの枚岡駅から徒歩1分くらいのところにあり、大阪方面の改札を出て右に曲がると目の前に鳥居が建っている。
 空気は奈良や伊勢ほど澄んではいないが、それでも質はかなり良い。人はまったくと言ってよいほどおらず、広い境内には私たちのほかに2人しかいなかった。

 境内の右側には滝行ができるところがあり、大小2つの滝が流れている。表には「禊場」との表示があるだけで使い方などの説明は一切なかったが、私はそうした観光地化されていない感じがとても好きだった。無人だったので中に入ってみると、着替え用の簡素な小屋と手水所と滝があるのみだった。夏に友人が禊場を訪れた際には仕事帰りのサラリーマンが滝に打たれていたとのことだった。

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枚岡神社の「禊場」

 本殿の右手には地面が少し盛り上がった場所があり、そこを上るといい角度から本殿を一望することができる。本殿は背後の山からの気に満ちており、神社が建つ土地というのはやはりこのように気が盛んでなければならないのだと思った。

 境内では「日本人なら日本国旗をかかげよう」「正しい日本語を使おう」のような文言が所々見られた。よくよく読んでみるとその「正しい日本語」とやらは単に「を」「ゐ」「ゑ」を使っているだけの幼稚なものだったし、そもそも国籍、国旗、国語という近代以降の概念が神社に必要なのかどうかは疑問だった。神社はそんな概念ができる前からあったし、そんな概念が滅びた後もあるだろうから。

 次の法隆寺に向かう途中、枚岡駅前で「お前ナメとんのか」と電話している人がいて大阪っぽいなと思った(偏見)。

 法隆寺

 法隆寺はJR法隆寺駅から1km以上も離れており、それならバスで法隆寺前まで行ってしまったほうが楽だということで、私たちは王寺駅からバスで法隆寺へと向かうことにした。途中、生駒駅から王寺駅までの間には古墳が多く存在しており、電車内の雰囲気や外の風景には刺さるような独特の怖さがあった。

 法隆寺周辺を歩いていると地盤が明らかに固いのがすぐにわかり、歩くたびに地盤からの反発を受けて背筋が伸びた。これだけしっかりとした地面なら五重塔も立つなと思った。
 法隆寺には中学校の修学旅行以来訪れたことがなく、また当時の記憶がまるでないので行くのは実質これが初めてだった。法隆寺は格の高い空気で充満しており、ここで品のないことはできないという緊張感があった。修学旅行で来ている小中学生たちもいることにはいたが、数はそこまで多くなかった。

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法隆寺入口

 法隆寺は書くことがあまりにも多すぎる。入り口の南大門はいきなり国宝だし、五重塔も金堂ももちろん国宝。ほかの建物だって国宝か重要文化財、置かれている仏像などの文物も国宝か重要文化財ばかり。それに加えて私たちは1年のうち3日間しか見られない上御堂の内部も見ることができた。法隆寺のことはどんなに筆を進めたって書き尽くせやしないので、ここでは大宝蔵院にある百済観音像に絞ろうと思う。

 大宝蔵院に入り、国宝級の文物を見つつ先に進むと建物の中心に百済観音堂がある。百済観音堂はその名の通り、百済観音像のためだけにしつらえられた建物である。百済観音像は奈良時代に作られはしたが江戸時代になってはじめて目録に名前が載ったという来歴の点からしても不思議な仏像である。
 堂に入って百済観音を見ると、私はその場から動けなくなった。意識が百済観音の顔一帯に吸い込まれ、また水のようにしなやかな肢体に圧倒され、口を開けて立ち尽くすしかなかった。しばらくしてようやく動けるようになると「なんだよこれおかしいだろマジで」と笑いが込み上げてきた。百済観音像は、今まで見てきた仏像の中で間違いなく1番すごいと断言できる。

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百済観音像(pinterest.jpより)

 百済観音は何も見ていない。目の前でどれほどの人が祈り、どれほど修学旅行生がうるさくしていても、百済観音はまったく意に介さない。それほど全身や表情の力が抜けている。表情は生き生きとしているどころか、まるで死人の顔のように見える。
 百済観音は見れば見るほどよくもまあこんなものを作ったものだと感心させられる。像だけでなく、こんなすごいものを作った作者のほうにも興味がわいた。

 法隆寺をひと通り見終えたあとは法隆寺の奥にある中宮寺に行った。中宮寺の本尊の菩薩半跏像は極めて完成度が高く、間違いなく最高傑作の1つだと思った。遠くからしか見られなかったのが少し残念だが、いつか博物館などでお目にかかる機会があったら近くでじっくり見てみたいと思う。

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菩薩半跏像(中宮寺HPより)

 中宮寺を出た後は門前街で山菜うどんを食べた。シャキシャキしていて味が濃く、美味しかった。

 興福寺

 法隆寺で天下第一の仏像(百済観音)を見たので、次は天下第二の仏像(阿修羅像)を見に行こうということで私たちは興福寺へと向かった。

 興福寺はこれまで東金堂と国宝館しか見ることができなかったが、私たちが訪れた11月2日には北円堂の特別公開と中金堂の拝観再開があり、合計で4つもの建物を回ることができた。
 友人が興福寺「友の会」会員なので、私は再び「お連れ様」としてほぼ無料で4か所を回ることができた。前回興福寺に来た時に東金堂のお香を買って家で毎日焚いていたので、東金堂に入ったときは一瞬家に帰ったような気がした。

 これも法隆寺と同様に全部を書こうとすると長くなるので、国宝館の阿修羅像について話す。前回来た時には阿修羅像にボロボロに打ちのめされて途方に暮れていたが*、今回は2回目だし、何より先に百済観音を見てきたおかげで阿修羅像には打ちのめされずに済んだ。阿修羅像が国宝の中でもぴか一であることに変わりはないとはいえ、百済観音像はそれ以上に異質すぎた。

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阿修羅像(興福寺HPより)

 阿修羅像をしばらく見ていたら心に余裕が出てきたので、阿修羅像の隣に百済観音を思い浮かべてみた。とんでもない光景になってしまい思わず笑ってしまった。

 帰りはさすがにへとへとだった。法隆寺興福寺を一日で巡るのはさすがにエネルギーを消耗する。私たちは家に帰り、ポトフを作って食べた。
 

四日目

 朝食

 前日のポトフが大量に余ってしまっていたので、朝食はポトフを3杯食べた。その後、今回もお世話になった友人宅に別れを告げると、最初の目的地へと向かった。
 予定ではまず西大寺に行くつもりだったが、雨上がりの空気がたいそう綺麗だったので、予定を変更して生駒山中にある宝山寺に行くことにした。 

宝山寺

 宝山寺生駒駅からケーブルカーに乗って宝山寺駅で降り、そこから300メートルほど階段を登ったところにある。ケーブルカーの車内は混んでいたがみんな山頂の遊園地に行くらしく、宝山寺を目指していたのは私と友人の2人だけだった。
 長い階段の途中には宿がたくさん並んでいる。とはいえ現在も営業しているのは半分にも満たないほどで、諸行無常の感があった。

 階段の両側に置かれた数多くの灯篭を通り過ぎていくと、大きなしめ縄のかかった鳥居がある。もはや寺ではなく神社だろうという見た目で、実際のところ境内も神社的要素のほうが強いように見受けられる。
 境内の灯篭にはそれぞれ寄付者の名前と金額が書かれており、金額はどれも100万円以上だった。ちなみに最高額の1億円を寄付した人の名前は「某」であった。

 友人曰く宝山寺では線香をたくさん使うとのことなので、境内の売店でひと掴みの線香を132円で購入した。とても安いと思った。
 線香は売店で買わなくても、主だった建物の前に1本数円で置いてある。また、香炉と線香に火をつけるための炭火がいたるところにあるため、境内は煙がもくもくと立ち込めている。香炉のそばで1分も立っていればその日は全身から線香の香りがすることになるだろう。

 本堂を抜けると長い階段があり、その両脇にはずらりとお地蔵さまが並んでいる。深い森の中に静かに並ぶ地蔵の列は圧巻というほかなく、私たちは線香を香炉の中に道しるべのように灯しながら先へと進んだ。私がたまたまターボライターを持っていたのでスムーズに線香をお供えすることができた。

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宝山寺境内

 線香に加え、境内では200円で1円玉200枚を買うことができる。お地蔵さまの前に1つ1つ供えていくもよし、本堂などで一気に使い切るもよし。私たちは本堂で一気に200枚を流し込み、じゃらじゃらと大きな音を立てて楽しんでいた。まわりの人たちが何事かと振り返っていた。

 西大寺

 ケーブルカーで生駒駅へと戻り、そのまま急行で大和西大寺駅へと向かう。この駅は特急も止まる大きな駅であり、構内は人の往来が激しい。西大寺は南口から徒歩2分ほどのところにある。

 西大寺はメジャーな観光地ではないため、境内には人がおらずとても静かである。平日は境内の幼稚園が開いており園児たちの元気な声がするらしいが、訪れたのは祝日だったのでひっそりとしていた。西大寺では聚宝館、本堂、愛染堂、四王堂(うち聚宝館と愛染堂所蔵の愛染明王像は期間限定公開)を訪れた。

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西大寺本堂

 西大寺の境内や各建物に共通するのは、文物との近さと落ち着いた雰囲気である。まず文物との距離が明らかに近い。聚宝館は手を伸ばせば届きそうなところに重要文化財がガラスも何もない状態で置いてあるし、本堂などでも仏像のすぐそばまで近づくことができる。
 また、雰囲気がとてものんびりしており、各建物の中では足を伸ばしてくつろぐことができる。友人は畳の上で寝転がっていたし、私は座ってぼーっとしていた。
 西大寺と私はなぜか馬が合うらしく、居心地の良さもさることながら西大寺の線香の煙が絶えず私に向かって流れてきた。私の周りだけ異様に煙がもくもくしており、友人と2人で「なにこれ」と笑っていた。

 のんびりした良さを味わいたいなら、西大寺は特におすすめである。

 元興寺

 近鉄奈良駅から南に10分ほど歩くと元興寺がある。途中の商店街にはいろいろな店があり、人も多く活気があるので見ていて楽しい。

 商店街を抜けて左に曲がると定食屋のような「元興寺」の看板がある。お前本当に世界遺産かと言いたくなるような看板だが、そもそも元興寺世界遺産に認定されなくても元興寺だし、UNESCOよりはるかに長い歴史を持つ元興寺が今さら世界遺産という称号など気にしないだろうな、とも思った。

 元興寺の本堂は世界トップクラスの安定した雰囲気がある。まさに絶対安心の建物といった感じで、ここまで安定感を与えてくれる建築はそうはない。使われている木や瓦は相当古く、時代を感じさせるとともに引き締まった空気も醸し出している。縁側に人はなく、私と友人で腰かけて日向ぼっこをしていた。

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元興寺本堂

 法輪堂にはミニチュア五重塔(国宝)などの文物が展示されている。また文物を当時の状態に再現したレプリカや当時の民衆の信仰に関する資料も展示されており、勉強になった。

 東大寺

 元興寺での日向ぼっこを楽しんでいたら陽が傾いてきたので、そのまま歩いて東大寺へと向かった。途中興福寺があったので寄ろうかと思ったが、時間が微妙だったのでまず未訪問の東大寺大仏殿に行くことにした。修学旅行以来の訪問であった。
 奈良公園や南大門のあたりには多くの観光客がいてにぎわっており、鹿がしきりに餌をねだっていた。陽が沈むと一気に深夜3時になる奈良公園東大寺だが、陽が出ているうちは活気があった。

 南大門を抜け大仏殿へと歩みを進めると、改めてその大きさに驚かされた。木造建築にしてはあまりにも巨大すぎる。奇跡のようなスケールの大きさだ。観光客は確かに多かったが、建物が大きいのであまり気にならなかった。

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東大寺大仏殿

 大仏も信じられないくらい大きく、その巨大さのあまり写真を撮る気にもなれなかった。光背も当然大仏並みのサイズであり、後ろから見たらびっくりするほど分厚かった。こんな大きな仏像の前で、みんなでひざまずいて祈ったらさぞ気持ちいいだろうなと思った。

 大仏殿を出た後、その足で期間限定公開の三月堂へと向かったのだが、16時で閉館らしくすでに閉まっていた。着いたのは16時8分だった。
 三月堂には入れなかったので、最後に東大寺ミュージアムを訪れた。中には多くの国宝級の文物が展示されており、これも非常に楽しめた。

 エピローグ

 東大寺ミュージアムを見終えた私と友人はお腹が空きすぎてふらふらになってしまっていたので、奈良駅前の餃子の王将に行きご飯をたくさん食べた。そこでひとしきりおしゃべりを楽しんだ後、私は東京に、友人は生駒に、それぞれ帰途に就いた。
 今回の奈良旅行を経て、友人にはとても成長したと言ってもらえたし、私自身もそれをよく実感している。実に有意義な4日間となった。

 前回に引き続き、今回の旅もプロデュースしてくれた友人には頭が上がらない。また、道中お世話になった現地の方々、そして奈良にも大きな感謝をささげたいと思う。

 (近畿周遊記2 完)