申如録

日常生活で考えたことなど

近畿周遊記 その4

  昨日とんでもなく濃い1日を過ごしたせいか、私たちはお互いに3時間ほどしか寝られなかった。再び寝付けそうもないので、室生寺に向けて朝8時にホテルをチェックアウトした。さすがに睡眠不足の感覚はあったが不思議と頭は冴えていた。天気は雲一つない快晴だった。
 室生寺の最寄りの室生口大野駅に9時前に着くと、私たちはすぐさま9時15分発の室生寺行きのバスに乗り込んだ。室生寺行きのバスは1時間に1本しかないため、これを逃すと10時15分まで待たなければならないからだ。バスは時刻どおり出発し、15分ほど山道を登ったのち、室生寺周辺の商店街の入り口に到着した。
 まだ時間も早いため商店街は閑散としているが、それにしても明らかにさびれてしまっている。商店街は人も建物も古く、また新型コロナウイルスの影響もあり厳しい状況が続いているとは思うが、これから室生寺観光に来る人たちのためにもなんとか耐え忍んでほしいと思った。

 室生寺は奈良東部の山間にある山岳寺院である。敷地には本殿等の建築や宝物殿があり、今年開館したばかりの宝物殿には十一面観音像(国宝)などが展示されている。
 敷地内はとても広い。横に広いだけでなく高低差も大きく、奥へと進んでいくと階段の上り下りをひたすらすることになる。建築物は多くが国宝や重要文化財に指定されているが、その中でも私は本堂(国宝)が印象に残った。

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室生寺本堂

 本堂の中はさまで広くなく、参拝客が立ち入ることのできる部分はむしろ狭いとさえ言っていい。靴を脱ぎ本堂に上がると参拝客用のイスが4つ用意されているが、私と友人はそれを無視してイスの前に正座した。本堂には如意輪観音菩薩像(重要文化財)等が安置されている。
 本堂の中心で静かに正座をしていたら、ふいに五体投地の理由がはっきりとわかった。人は命ある限り大地に感謝し、大地を讃え、大地に接吻しなければならない。私は本堂で、また本堂を飛び出して地面で五体投地をしたくなった。それと同時に感情が私の中であふれ出し、思わずぽろぽろと泣いてしまった。
 だが、五体投地は結局最後までできなかった。こういうところが私の弱さだと思う。

 本堂と五重塔を抜けると頂上が見えないほどの階段があり、そこを上りきると奥の院がある。小学校低学年くらいの子どもたちはすいすいと階段を上っていて、若さや身軽さに加えて山のエネルギーが彼らを後押ししているのだろうと思った。私たちは運動不足なので子どもたちのように素早くは上れなかったが、途中できれいなカナヘビを見つけたり美味しい湧き水を飲んだりできたので結果としてとても良かった。

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きれいなカナヘビ

 室生寺を出た後はそのまま歩いて龍穴神社へと向かった。国宝等の指定はなくガイドブックには少ししか記載されていないが、友人がぜひ行ってみたいとのことだったので足を運んでみた。室生寺から川沿いに上流へとさかのぼること約15分、道中2度も青大将に遭遇し肝を冷やしながらも龍穴神社に到着した。

 一見して、普通の神社でないことがわかった。立派なご神木が連なり鬱蒼とした境内は人も少なく、雰囲気は冷たく張りつめている。案内板には水の神「龍神」を祭った神社とあった。雲は多くなってきたが、雨が降るほどではない。
 境内を進み本堂へと向かうと、まず友人がため息とともにバランスを崩した。私はそれに驚きつつ友人に続いて本殿を見た瞬間、思わず拝殿の縁側まで駆け寄りそこに座り込んでしまった。本殿は伊勢神宮よりも強い霊力を持っていた。
 本殿の周囲は時空が歪んでいた。本殿周辺の時間は明らかに静止していて、なおかつ紙垂は風がないのにひらひらとたなびいている。まるで本殿周辺の空間だけは千年前のもので、千年前の風のそよぎがそこにあるかのようだった。また、三方を山に囲まれた本殿には周囲から気がどっと流れ込むと同時に本殿からも気を上方および前方に流出させている。明らかに尋常の光景ではない。私は今すぐ国宝指定すべきだと思った。

 私と友人が縁側でぐったりしていると、突如として篠突く雨が降ってきた。雨に濡れた本殿はまるで海底にそびえる竜宮城のようであり、水の神である龍神を祭る社にふさわしい雰囲気を醸し出していた。雨は数分もしないうちに止み、すると今度はご神木たちからの木漏れ日が本殿を照らし始めた。龍神は絶対にここにやってきたのだと確信してしまうほど美しく、かつ神秘的な光景であった。私たちはこうして本殿の時空の中を長い間たゆたっていた。気づくと1時間以上が過ぎていた。

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雨上がりの龍穴神社本殿

 龍穴神社の後は、龍穴神社の御神体である「吉祥龍穴」を訪れることにした。私と友人にはもはや行かない選択肢がない。私たちは吉祥龍穴に引っ張られるようにそろそろと山道を登っていった。ちなみに、標識によると吉祥龍穴は龍穴神社から600mと書いてあるが、歩いてみた感想としては明らかにそれより長い。もし徒歩で訪れるのであれば片道2kmくらいはあると想定しておいた方がよいだろう。

 吉祥龍穴は岩の切れ目である。龍穴の前には水が豊富に流れており、ざあざあと流れる音があたりに心地よく響いている。水は鉄分を豊富に含んでいるらしく、水が流れているところの岩はあからさまに茶色い。上方から滔々と流れる水の流れは中央にある窪みによって一時的にせき止められ、しばらくすると再び下方へと流れてゆく。その中央の窪みのすぐ奥に、岩の切れ目すなわち吉祥龍穴がある。
 私も友人も、龍が必然的に善を為すものではなく、善悪ともになし得る存在であることを理解した。友人は龍穴で龍の印象を強く受けたと言っていたが、私はむしろ龍は今ここにはいないのではないかという印象を受け、そこは意見が分かれた。

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龍穴

 吉祥龍穴から室生寺前まで徒歩で戻り、近くの旅館で遅めの昼食をとることにした。食べたのは「山菜定食」で、正直山菜だとなめていたらこれが驚くほど美味しかった。特に美味しかったのは写真左中央のわらびをワサビ等のたれに漬けこんだもので、ご飯が無限に進むタイプのおかずだった。すっかりこのおかずにハマってしまった私はダメもとでお店の人にレシピを訪ねてみたら快く教えてくれたので、いつか自分で作ってみようと思っている。

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山菜定食

 ご飯を終え、バスと電車を乗り継いで桜井駅へ。次の目的地は大神神社(おおみわじんじゃ)である。こちらも友人が行きたがっていた場所で、実はすでに一度行っているらしいのだが私を連れて行きたいとのことであった。

 桜井駅からタクシーで大神神社の鳥居前に着くと、そこはすでに異様な雰囲気に包まれていた。夕方で薄暗いせいもあるだろう、まるで異界へと足を踏み入れるかのような重々しく不気味な空気がただよっている。参道を少し歩いてから鳥居を振り返ってみると、ちょうど西側にある鳥居からは逆光が刺し、自分が死後の世界に来てしまったかのような感覚に陥った。友人はもっぱら神社から私たちの方へと向かってくる気だけを問題にしていて参道の重々しい雰囲気はあまり気にしていなかったので、友人と話をしながら歩くことで気を紛らわせた。

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大神神社入口

 参道の幟には大神神社を称して「大和国一の神社」と書いてあったが、まさにその名にふさわしく、大きな本殿は荘厳そのものと言うほかない。御神体が背後の山であるこの神社は、山の気を境内中に巡らせている。
 友人がお祓いの無料券を持っていたので、私たちはさっそくお祓いをすることにした。昨日の伊勢神宮に続き2日連続のお祓いとなるが、まあそれくらいは大丈夫だろう。友人は実は1週間で3回目らしく、2人で何をやってるんだとけらけら笑っていた。祈祷殿は本殿からは少し離れているが、それでも山の気は隅々まで十分に染みとおっているのがわかった。
 お祓いはまたもや私と友人と神主の3名で行われた。初めに神主が太鼓をたたくと、山と森のイメージがすぐさま私の中に広がってくる。これはきっと御神体の姿が喚起されたのだろうと思った。神主は次に祝詞を唱え、大麻(おおぬさ)で邪気を祓い、鈴で再び邪気を祓った。鈴はシャリンシャリンと軽快な音が鳴り、身体の奥底まで通り抜けるようなとても良い音であった。お祓いの最後には御神酒を少しいただいたが、昨日伊勢神宮で飲んだ真水よりは酔わなかった。友人はお土産に鈴を買っていた。

 お祓いの終了時刻がちょうど大神神社の閉館時刻の17時であったため、私たちはお祓いを済ますとすぐに帰途に就いた。私は単線電車が好きなので、JR奈良線の三輪駅から桜井駅まで単線の旅(一駅だが)を楽しみ、それから近鉄線で宿に戻ることにした。夕食は宿でカオマンガイを作って食べた。友人の部屋からは、時おり鈴の音が聞こえてくる。

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JR奈良線・三輪駅周辺の踏切

 明日はいよいよ近畿の旅の最終日である。依水園という日本庭園に行くことだけは決まっているが、あとは何も決まっていない。疲れも少し溜まってきているので、体調と相談しつつ過ごしていきたいと思う。