申如録

日常生活で考えたことなど

文章を書く習慣がつかない


 文章がうまくなりたいと思ってこのブログをはじめてから早数年、上達のためには習慣化して量をこなすことが必要だとはわかっているが、どうにも習慣化することができない。文章を書くことは向いてないのかもしれない。

 そもそもなぜ文章がうまくなりたいと思ったのかといえば、文章がうまいとはすなわち頭がよくてかっこいいことだと思ったからだ。そうすれば自己肯定感が高まるし、いろんな人からも一目置いてもらえると思った。要は文章がうまくなりたいという願望の裏には不純な打算があったわけで、書きたいことや発信したいことがそれ自体としてあったわけではない。もし私に文章を書く才能があったなら、そんな打算なんてなくても書いただろう。書くなと言われたって書いただろう。

 ところが、不純な打算だけではほとんど書けない。パソコンを立ち上げる気にもならない。私は文章を書く才能に乏しいだけでなく、不純な打算すらも弱っちいのだ。結局、私が文章を書けたのは、書きたいと思うことがあったときか、○○について書いてくれと頼まれたときだけだった。

 とはいえ、文章がうまいことへのあこがれは依然としてあるし、いろんな人に文章がうまいと褒められることへのあこがれも依然としてある。それを無理に捨てるつもりはない。でも、不純な打算は動機にならないことがこの数年でわかったので(遅い!)、これからはまずパソコンを開くことからはじめようと思う。特に書くことが思いつかなくても、いざパソコンを前にすると何かしら書くことになるので。

 これからもよろしくお願いします。