申如録

日常生活で考えたことなど

新型コロナウイルスについて思うこと その1

・はじめに

 現在、世界で猛威をふるっている新型コロナウイルス(以下「コロナ」)について、私は脅威を感じるというよりはむしろ感心してしまっている。コロナの性質に関する情報を耳にするたび、私は思わず「なんてしたたかなんだ」と唸ってしまう。私は医学に関してはずぶの素人だけれども、コロナのしたたかさは歴代感染症の中でもトップクラスではないだろうかとひそかに思っている。
 コロナが影響を与えている分野は極めて多岐にわたるため、ここですべてを論じつくすことはもちろんできない。また、私にはそれを論じつくすだけの力もないし、今日は物事を考える気もあまりない。ここではあくまで私個人がいまコロナについて思っていることを、この百年に一度の疫病を記念して、つらつら書き留めていくだけである。
 なお、ブログを書くにあたっては、主に厚生労働省HPおよび日本感染症学会HPを参照した。

・コロナのすごい性質

 コロナの性質については世界のエキスパートたちが目下研究中であり、肺にダメージを与えるだけでなく脳にもダメージを与えるとか、60度の高熱に1時間耐えるとか、罹患して獲得した免疫も一時的なものにすぎないとか、いろいろな情報が錯綜しているのが現状である。ましてや門外漢の私が軽々しく口を挟めるような問題ではない。
 しかし、おそらくこれはほぼ確定的だろうというコロナの性質のなかで、私が特に興味を感じているものがある。それは「潜伏期間の長さ」と「無症状病原体保有者があること」だ。
 潜伏期間については1~14日とまだよくわかっていないところもあるが、それでもインフルエンザ等の感染症よりも長いことはほぼ確実らしい。また、無症状の感染者がいることについてはニュース等で繰り返し報じられており、すでに周知の事実になっていると思う。
 私が素直にすごいと思うのは、この「症状のなさ」だ。この「症状のなさ」こそが世界のグローバル化とあいまって爆発的な感染拡大を生じさせ、世界を混乱の渦に陥れたのだろう。たとえ感染していたって症状がなければ人は出歩くに決まっている、コロナはそんな人の性質をしたたかに突いてきた。

・「感染」の意味

 感染の有無を決めるのは、科学的見地からすれば自覚症状があるかは関係なしにウイルス等の増殖があるかによるだろうが、一般的な感覚でいえば自覚症状がないのに感染していると見なすのは若干抵抗があるだろう。感染しているならば何らかの症状があるはずだ、というのが一般的な考えだからだ。風邪の症状も何もないけど実は私風邪を引いているんです、という理由をつけて会社を欠席したらそれはサボりと見なされておしまいである。
 だが、そうはならないのがコロナのしたたかさだ。コロナは感染者を死に至らしめる一方で、感染したことにすら気づかせないことも十分にあり得る。これまで感染には必ず付随すると見なされてきた症状が、コロナの場合は必須ではないのだ。
 「感染」と「症状」をめぐるこの矛盾を、人々は一切の混乱なしに受け入れられるだろうか? 少なくとも私は多少混乱しているし、世間も混乱しているように見える。
 コロナは、日常言語における「感染」の意味を大きく変えてしまった。これまでは症状あっての感染だったが、コロナ以降は症状と感染とが切り離されてしまった。少なくとも以前よりは距離をおくようになってしまった。

・道徳性の変容

 症状と感染が距離をおくと、何が起こるのか。それは街に繰り出すとすぐにわかる。
 2020年4月30日現在、おそらく外出している人の95%がマスクをつけている。海外に比べてマスク率の高い日本ではあるが、ここまでみんながマスクをつけているのはさすがに見慣れない。はっきり言って異様である。
 コロナが流行し始めてから今に至るまでの間で、人々のマスクに対する考えはかなり変わってきたように思える。最初は単に自身がコロナに感染しないための措置だったが、マスクに感染症予防の効果が薄いことが知られてからは(ちなみにこの知識は「マスクに感染症予防の効果はないから不必要にマスクを買い占めるな」という言説の広まりとともに浸透してきたように思う)、マスクは他人にコロナを移さないための措置になった。
 このマスク着用の目的の転換は、コロナの持つ「症状のなさ」によって可能となった。この「症状のなさ」によって、人々は潜在的な感染者として位置づけられたのだ。コロナの出現によりわれわれの日常言語における「感染」と「症状」とが距離をおいたことによって、われわれは実はすでに感染しているのかもしれないという疑いが人々の間に生じたのである。
 この転換は極めて大きな意義を持っている。それは、これまで自分自身を守るものであったはずのマスクが、今では他人を守るという目的を得たことによって、にわかに道徳性(公共性)を帯び始めたからだ。マスクが道徳性を帯び始めたということは、マスクをしないことは非難の対象になったことを意味する。今やマスクをすることは他人に迷惑をかけないためにぜひとも必要なことなのだ。「己の欲せざるところ人に施すこと勿れ」はついにマスクの着用にまで適用されることとなった。
 コロナがもたらしたのは、次の行動規範である。すなわち「自身が感染しているつもりで行動せよ」。

・行動規範いつまで

 「自身が感染しているつもりで行動せよ」という行動規範は、コロナが終息すればなくなるだろうか? それとも、現状のような強烈な自粛等は伴わないにしても、何らかの痕跡を残すだろうか?

 

続きは気が向いたら。今日は疲れたのでお休み。

【追記】
 「症状のなさ」をあたかもコロナ特有のもののように書いてしまい、また私自身そう思っていたのだが、文章を読み返していたらこの特徴はコロナだけのものではないような気がしてきた。誰か感染症に詳しい方がいたら感染症一般の「症状のなさ」について教えてください。

【追記2】
 上述のとおりコロナは「感染者を死に至らしめる一方で、感染したことにすら気づかせないことも十分にあり得る」ウイルスだが、たとえば感染者のすべてが感染したことに気づかないようなウイルスというのはあるのだろうか? あるとすればそれはそもそも「感染」なのか? ないとすればどうしてそう言えるのか?