申如録

日常生活で考えたことなど

かたじけない

 私が普段使うものは私が作ったのではない。私の服も、パソコンも、家も、私が作ったのではない。道も、電気も、水も、空気も、私が作ったのではない。私は自分に対して何もできていない。ましてや他人や世界に対してはなおさらである。それなのに、私はすべてをお膳立ていただいている。ありがたいが、申し訳ない。

 昨日、奈良の吉野を歩いていたら、道ばたの不動明王像を掃除しているおばあさんに会った。私が「私は普段から何事も使わせてもらうばっかりで、今回の吉野もお参りするばっかりで、こうしてお掃除していただいてありがとうございます」と言ったら、おばあさんは「遠い所からよう来てくれて、お不動さんも喜んではるわ、ほら!」と不動明王の顔を指さした。

 不動明王の怖い顔が心なしかやさしいようで、私は来ただけなのにそれでもうれしいと言ってもらえて、久しぶりに声を出して泣いてしまった。