申如録

日常生活で考えたことなど

食う寝るところに住むところ

 こんな夢を見た。

 お椀型の、それもほとんど台形に近いような丘の頂上付近に私がひとり立っている。麓から途中にかけては木が生い茂っているが、頂上に近づきいよいよ地面が平たくなってくると、そこはすべて白いコンクリートで塗り固められ、頂上の私からは木がまったく見えない。私は周囲の白いコンクリートを見渡し、また頂上から街の景色――都会なので道がすべてコンクリートで舗装されている――を見下ろし、「ああ! 地面はすべてコンクリートで覆われてしまった! 地面が、地面が必要なのに!」と叫ぶ。

 コンクリートで舗装された地面はわれわれの生活に必要不可欠だが、ちょっと多すぎる気がする。というか、コンクリートは人間が歩くためのもので、土は木が生えるためのもの、みたいなすみ分けができてしまっている気がする。それは間違いではないのだが、われわれはコンクリートによって生きると同時に土によっても生かされている、ということが忘れられているのではないか。われわれの身体は、コンクリートだけで生きられるほど固くない。

 物件の価値は、築年数や広さ、都心へのアクセス、駅からの距離などによって決まる。だがいずれは、「近くに土がある」とか「空気がきれい」「水がおいしい」などの要素も重視されるようになるのではないか。それがなければ生きていけない物の質が高いということは、シンプルに価値あることだからだ。

 明日から奈良に行く。奈良の山を歩き、きれいでおいしい空気と水をいただき、体内をぴかぴかにしようという算段である。