申如録

日常生活で考えたことなど

近畿周遊記 その1

  10時42分発新大阪行のぞみ号の車内はとても空いており快適である。東京の天候は晴れ、湿度はさほど高くない。睡眠は十分にとったし、忘れ物もおそらくない。出発にはこの上ないコンディションだろう。
 今日は昼過ぎに新大阪に着き、昼食を食べ(粉ものを狙っている)、大阪市立東洋陶磁美術館を訪れたのち、奈良に住む友人宅へと向かう予定である。奈良にはそのまま3泊し、日曜日に東京へと戻る。東京は今すべてがごちゃごちゃしていて心穏やかになれないから、落ち着きのある奈良で休息をとり、体力・気力・霊力を回復しようという算段である。 

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東京駅改札にて

 旅に出るときは、帰りのことが頭に浮かんでしまい少し切なくなる。家から駅に向かうときは帰りもこの道を歩くのだろうと思うし、新幹線に乗るときは帰りもこのホームを踏むのだろうと思う。
 東海道新幹線では、途中駅に用事がある場合は別だが、基本的にのぞみ号しか乗らない。私は快速電車で途中駅をすっ飛ばしながら先に進むのが好きだからだ。ひかり号はまだしも、こだま号に乗ったら発狂すると思う。
 また、東海道新幹線では海を見ておきたいから、行きは進行方向左側、帰りは進行方向右側の座席に座る。東海道で海を見ないのはなんだか違う気がする。
 新幹線の中では、景色を見ているか、本を読むか、文章を書くか、寝ている。とりわけ窓から見る景色は一番の楽しみだ。私の知らない街、畑、山、川、空がそこら中にあるのに、すぐそばを通り過ぎていてもなんだか遠い世界を見ているようで実感が湧かない。この街には人が住んでいるのだろうか、この山には生きものがいるのだろうか、この川はどこからどこに向かって流れているのだろうか、そもそも今私が見ているこれは本当にあるのだろうか。新幹線からの景色を見ていると、そんな幻想的な感覚に包まれる。

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のぞみ号車内にて

  車内販売がサンドイッチとコーヒーを売り歩き、ときおりトイレに立つ人や警備員がうろうろしている。話し声はほとんどなく、新幹線が走るときの「キーン」と「ゴオオ」が混ざったあの音、あとはお菓子や弁当の包みをいじる音だけが聞こえてくる。
 掛川駅を過ぎたあたりでは一雨あったがすぐに止んだ。窓からは相変わらず光がさしているが、雲の量は明らかに増え、遠く南の空は鉛色にくすんできている。風は近頃ずっと南風だから、これからもきっと雨が降るのだろう。
 新幹線のアナウンス音はいつ聞いても切ない気持ちになる。すべては移り行くのだということがはっきりと認識されるような気がする。すでに過ぎ去ったとき、過ぎ去りつつある今このとき、過ぎ去るであろうとき、そうした流れの止まらなさは、過ぎゆく景色ではなく、アナウンス音が思い出させてくれる。

  のぞみ号はまもなく名古屋駅に到着する。ひとまずここで筆を擱き、京都駅までの間少し寝ようと思う。