桜の話
梅が散るのと入れ替わりで桜が咲いてきた。
満開の桜、特に夜桜を眺めていると、容易にうつつを抜かしてしまう。きれいだなあと思う。
この時期、(私の勝手な印象では)おじさんたちが「桜は散り際が美しい」とよく口にしている。私はその言葉の裏に「俺わかってますよ感」が感じられて正直苦手なのだが、散るからこそ惜しむ心が生まれ、惜しむからこそ美しく感じる側面は確かにあると思う。
もちろん、散り際には散り際の良さがある。そよ風のなか、はらはらと落ちてくる桜吹雪をぼんやり見上げていると、俺はこのまま死んでもいいやという気分になる。その気分はとても心地よくて、いったん始まってしまうとなかなか終われない。
また、美しさが失われる美しさというのもある。たとえば、不謹慎な例ではあるが、数年前に首里城が燃えたとき、私はその光景を心の底から美しいと思った。美しさが失われることは、悪いとばかりは言い切れない。
とはいえ、花は咲いてこそ花なんだから、咲いているときが一番花らしいに決まっている。花が一番花らしいということは、やっぱり花は咲いているときが一番きれいってことじゃないでしょうか。
久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
(陽の光がのどかな春の日に、どうして花はこうあわただしく散ってしまうのだろう)(『古今和歌集』より)
今年より春知りそむる桜花散るといふことはならはざらなむ
(今年はじめて春を知ったかのように咲きほこる桜の花よ、散るということは覚えないでおくれ)(同前)
「はらはらと散ってはゆくが常に満開の桜」はどこかにないものか。