申如録

日常生活で考えたことなど

霧の話

 先日の朝、家を出たら霧がすごかった。視界がぼうっと白く霞み、高層マンションの10階から上はまったく見えなかった。街中の音も心なしか静かで、とても穏やかな朝だった。
 私は、このまま霧がどんどん濃くなって、一寸先も見えないほど真っ白になって、そのうち意識も白く霞んでいって、そうやって死ねたらいいなと思った。ふと次の歌を思い出した。

ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ
古今和歌集 詠み人知らず)


 私は霧が好きだ。どの時間帯でも、どんな場所でも、霧は綺麗で神秘的でどきどきする。
 今まで遭遇した中で一番の霧は、中国四川省峨眉山を登っていたときの霧だ。峨眉山は中国でも1,2を争う霊山で、世界遺産にも認定されている。霧が出てきたときは仙人が出てくるんじゃないかと本気で思った。

f:id:tamashiikaruku:20201130230003j:plain

峨眉山

 ただ、峨眉山の頂上(約3,100m)からはその霧に邪魔されて何も見えず、38度の熱を出しながらどうにか登りきった先に待っていたのは一面の白であった。ふと次の歌を思い出した。

廻頭下望人寰處(振り向いて人間の世界を見下ろしてみても)
不見長安見塵霧(長安は見えず、ただ塵と霧が見えるばかり)
白居易長恨歌」より)

 とはいえ、山頂からの景色が見えないということは、山麓から私のことが見えないということでもある。霊山の山頂で霧に遮断され、俗世が見えなくなるというのはかえって良い経験だったのかもしれない。

借問游方士(ちょっとお尋ねしますが、俗世に生きる人は)
焉測塵囂外(どのようにしたら俗世の外のことがわかるのでしょうね。)
(陶潜「桃花源記」より)

f:id:tamashiikaruku:20201130232607j:plain

峨眉山頂からの景色