申如録

日常生活で考えたことなど

近畿周遊記 その5

  近畿旅行の最終日は朝7時過ぎに目が覚めたが、すぐに残念なことに気づいた。頭が痛いのだ。
 私は片頭痛持ちなので低気圧にはめっぽう弱い。気圧が下がるとずきずきと頭の表層が痛み出し、ひどいときには視界が狭くなってしまう。今回に関してはもちろん旅行の疲れや連日の寝不足も頭痛の原因ではあるだろうが、やはり直接の原因は低気圧だろう。窓の外からは雨の音がぽたぽたと聞こえてくる。私は友人にLINEを送り、8時過ぎまで寝かせてもらうことにした。バファリンはいつも使っている鞄には常備しているのだが、旅行用の鞄に入れるのを忘れてしまった。
 部屋で少しまどろんでいたら痛みが少し和らいできたので起床することにし、帰りの荷造りを始めた。基本的に洋服は旅行先で捨てることにしているので、荷物は来たときよりもかなり少ない。出発の支度を終えると友人の待つリビングへと向かった。

 今日はこれといった予定がないので、ゆっくりと過ごすことができる。リビングでは出発前に友人とおしゃべりをした。
 友人の名刺の裏には一本の線が入っているのだが、その一本線を文字にしたいと友人から相談があった。私は思いつくままに「中庸(縦書き)」「真善美(横書き)」「無無無(横書き)」などを提案したところ、友人は「中庸」が気に入ったらしかった。気に入ってもらえてよかった。

 9時半を回ったところで私たちはお世話になった宿を後にし、まずはマクドナルドで朝食を食べることにした。奈良だからか、それとも日曜の朝だからか、駅前のマクドナルドの雰囲気は東京よりもだいぶ落ち着いて見えた。なんとなく注文したアップルパイはびっくりするほど熱かった。

 今日の目的地の依水園は近鉄奈良駅が最寄りなので、近鉄線でゆらゆらと目的地へ向かう。乗客や広告が少なく落ち着いた車内とも今日でお別れだと思うと物寂しい気持ちになった。
 近鉄奈良駅では友人の提案で依水園に向かう前に駅前の古本屋に行ってみることにした。古本屋はこじんまりとしていたが日本史や日本文化に関する書籍がやたら豊富に並んでいる。またこの古本屋には学生割引があるらしく、良心的なお店だなと思った。ただ、私は神保町など東京の古本屋のほうがディープで好きだった。少なくとも今回訪れた奈良の古本屋は私には健康的すぎた。

 古本屋を出て依水園に向かって歩いていたら、奈良公園に差し掛かったあたりで友人が鹿せんべいを鹿にあげてみたいと言い出したので早速やってみることにした。友人は初めて、私は中学校の修学旅行以来のイベントである。
 中学生時代は迫りくる鹿に手こずった記憶があったが、今回は全然そんなことはなかった。私と友人は集まってくる鹿をなだめつつ順番に鹿せんべいを配ってあげ、その代わりに頭や背中を撫でさせていただいた。少し離れたところでは鹿せんべいを手にした観光客が鹿にどつかれていて大変そうだった。私はそれをしり目に、友人と鹿と自撮りをした。

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私(左)と鹿(中央)と友人(右)と

 依水園の前まで歩き、いよいよ入ろうとしたとき、私と友人は依水園の隣に「吉城園」という別の庭園があることに気づいた。これも何かの縁ということでこちらから先に入ってみることにした。入場料はなんと無料だった。
 吉城園は手入れが行き届いておりかつ広い敷地を有していた。私と友人は建物の縁側に腰を下ろしあるいは寝っ転がり、お昼過ぎまで話をしていた。観光客の姿はごくまばらで、私たちの話し声のほかは水の流れる音がばしゃばしゃと響くのみであった。私たちは入場無料なのがまったく理解できなかった。

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吉城園

 奈良の庭園の特徴のひとつには、苔の見事さがあると思う。私はこれまで苔を2次元のものだと思っていたが、奈良の苔はどう見ても3次元であり、ふさふさとした苔がもっこりとしている。気になる方はぜひ奈良の庭園に足を運んでみていただきたいと思う。庭園でなくても、たとえば先日の龍穴など見事な苔を見られる場所はいくつもある。

 吉城園を見終えると依水園へと行く前に駅前の餃子の王将で腹ごしらえをし、頭痛が依然としてあったので薬局で頭痛薬を購入した。私たちはその後依水園前へと戻っていった。
 依水園には庭園と寧楽美術館がある。私たちはまず美術館から回ることにした。
 美術館では、受付のおっちゃんが展示品や美術館の歴史についていろいろと教えてくれ、資料をコピーしてくれたり美術館のカタログ(絶版)を見せてくれたりした。だが、残念なことに私は美術館に入ったあたりから頭痛がひどくなり吐き気までもよおしてしまったため、いったん美術館を離れて頭痛薬を服用しベンチで休息することにした。
 頭痛がいくらか治まると美術館に戻り、展示品を一周した。陶磁器や青銅器の質はおしなべて高かったとは思うが、中でも耀州窯の青磁碗はとりわけ見事だった。

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耀州窯の青磁

 美術館のあとは依水園庭園でゆっくりする流れだったのだが、頭痛はメンタルの悪化をも引き起こし、私はもう何にも心を動かされなくなってしまっていた。心の弾力性みたいなものがゼロに近かった。友人はそれを察してくれ、私たちはそそくさと依水園を後にした。友人には悪いことをしてしまったなと思う。
 依水園の後は正倉院あたりを散歩しようかと話していたが、私がこのような状態になってしまったので今回はここで解散することにした。友人に感謝と別れを告げ、ひとり帰途に就いた。

 メンタルが悪化した以上は早く帰る必要があったので、近鉄奈良駅から京都駅まで特急電車に乗り、そこから東海道新幹線のぞみ号に乗って帰途に就いた。今までは電車で1時間ほどの距離なら在来線しか使ってこなかったが、今回特急電車を使ってみて短距離でも特急電車を使うことの良さがわかった。今後はお財布と相談しながら最善の乗り物を選んでいこうと思う。
 近鉄の特急電車でものぞみ号でも、回復のためにできるだけ長く寝なければいけないのはわかってはいたが、やっぱり景色が見たくてなかなか寝ることができなかった。やっと名古屋駅のあたりで睡魔が襲ってきて、気がついたら小田原駅を通過していた。1時間ほど寝たおかげか、メンタルはいくらか改善した。新幹線の到着メロディが痛いほど心に響いた。

 奈良はとても良い場所だった。行くべきところはたくさんあるし、人は優しいし、雰囲気は落ち着いている。できるだけ早いうちに、遅くとも年末には再び奈良を訪れたい。冬の奈良もまた趣があるに違いない……そんなことを考えつつ荷ほどきをしていると、興福寺で買ったお香の匂いがつんと鼻をついた。

(近畿周遊記 終)

近畿周遊記 その4

  昨日とんでもなく濃い1日を過ごしたせいか、私たちはお互いに3時間ほどしか寝られなかった。再び寝付けそうもないので、室生寺に向けて朝8時にホテルをチェックアウトした。さすがに睡眠不足の感覚はあったが不思議と頭は冴えていた。天気は雲一つない快晴だった。
 室生寺の最寄りの室生口大野駅に9時前に着くと、私たちはすぐさま9時15分発の室生寺行きのバスに乗り込んだ。室生寺行きのバスは1時間に1本しかないため、これを逃すと10時15分まで待たなければならないからだ。バスは時刻どおり出発し、15分ほど山道を登ったのち、室生寺周辺の商店街の入り口に到着した。
 まだ時間も早いため商店街は閑散としているが、それにしても明らかにさびれてしまっている。商店街は人も建物も古く、また新型コロナウイルスの影響もあり厳しい状況が続いているとは思うが、これから室生寺観光に来る人たちのためにもなんとか耐え忍んでほしいと思った。

 室生寺は奈良東部の山間にある山岳寺院である。敷地には本殿等の建築や宝物殿があり、今年開館したばかりの宝物殿には十一面観音像(国宝)などが展示されている。
 敷地内はとても広い。横に広いだけでなく高低差も大きく、奥へと進んでいくと階段の上り下りをひたすらすることになる。建築物は多くが国宝や重要文化財に指定されているが、その中でも私は本堂(国宝)が印象に残った。

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室生寺本堂

 本堂の中はさまで広くなく、参拝客が立ち入ることのできる部分はむしろ狭いとさえ言っていい。靴を脱ぎ本堂に上がると参拝客用のイスが4つ用意されているが、私と友人はそれを無視してイスの前に正座した。本堂には如意輪観音菩薩像(重要文化財)等が安置されている。
 本堂の中心で静かに正座をしていたら、ふいに五体投地の理由がはっきりとわかった。人は命ある限り大地に感謝し、大地を讃え、大地に接吻しなければならない。私は本堂で、また本堂を飛び出して地面で五体投地をしたくなった。それと同時に感情が私の中であふれ出し、思わずぽろぽろと泣いてしまった。
 だが、五体投地は結局最後までできなかった。こういうところが私の弱さだと思う。

 本堂と五重塔を抜けると頂上が見えないほどの階段があり、そこを上りきると奥の院がある。小学校低学年くらいの子どもたちはすいすいと階段を上っていて、若さや身軽さに加えて山のエネルギーが彼らを後押ししているのだろうと思った。私たちは運動不足なので子どもたちのように素早くは上れなかったが、途中できれいなカナヘビを見つけたり美味しい湧き水を飲んだりできたので結果としてとても良かった。

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きれいなカナヘビ

 室生寺を出た後はそのまま歩いて龍穴神社へと向かった。国宝等の指定はなくガイドブックには少ししか記載されていないが、友人がぜひ行ってみたいとのことだったので足を運んでみた。室生寺から川沿いに上流へとさかのぼること約15分、道中2度も青大将に遭遇し肝を冷やしながらも龍穴神社に到着した。

 一見して、普通の神社でないことがわかった。立派なご神木が連なり鬱蒼とした境内は人も少なく、雰囲気は冷たく張りつめている。案内板には水の神「龍神」を祭った神社とあった。雲は多くなってきたが、雨が降るほどではない。
 境内を進み本堂へと向かうと、まず友人がため息とともにバランスを崩した。私はそれに驚きつつ友人に続いて本殿を見た瞬間、思わず拝殿の縁側まで駆け寄りそこに座り込んでしまった。本殿は伊勢神宮よりも強い霊力を持っていた。
 本殿の周囲は時空が歪んでいた。本殿周辺の時間は明らかに静止していて、なおかつ紙垂は風がないのにひらひらとたなびいている。まるで本殿周辺の空間だけは千年前のもので、千年前の風のそよぎがそこにあるかのようだった。また、三方を山に囲まれた本殿には周囲から気がどっと流れ込むと同時に本殿からも気を上方および前方に流出させている。明らかに尋常の光景ではない。私は今すぐ国宝指定すべきだと思った。

 私と友人が縁側でぐったりしていると、突如として篠突く雨が降ってきた。雨に濡れた本殿はまるで海底にそびえる竜宮城のようであり、水の神である龍神を祭る社にふさわしい雰囲気を醸し出していた。雨は数分もしないうちに止み、すると今度はご神木たちからの木漏れ日が本殿を照らし始めた。龍神は絶対にここにやってきたのだと確信してしまうほど美しく、かつ神秘的な光景であった。私たちはこうして本殿の時空の中を長い間たゆたっていた。気づくと1時間以上が過ぎていた。

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雨上がりの龍穴神社本殿

 龍穴神社の後は、龍穴神社の御神体である「吉祥龍穴」を訪れることにした。私と友人にはもはや行かない選択肢がない。私たちは吉祥龍穴に引っ張られるようにそろそろと山道を登っていった。ちなみに、標識によると吉祥龍穴は龍穴神社から600mと書いてあるが、歩いてみた感想としては明らかにそれより長い。もし徒歩で訪れるのであれば片道2kmくらいはあると想定しておいた方がよいだろう。

 吉祥龍穴は岩の切れ目である。龍穴の前には水が豊富に流れており、ざあざあと流れる音があたりに心地よく響いている。水は鉄分を豊富に含んでいるらしく、水が流れているところの岩はあからさまに茶色い。上方から滔々と流れる水の流れは中央にある窪みによって一時的にせき止められ、しばらくすると再び下方へと流れてゆく。その中央の窪みのすぐ奥に、岩の切れ目すなわち吉祥龍穴がある。
 私も友人も、龍が必然的に善を為すものではなく、善悪ともになし得る存在であることを理解した。友人は龍穴で龍の印象を強く受けたと言っていたが、私はむしろ龍は今ここにはいないのではないかという印象を受け、そこは意見が分かれた。

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龍穴

 吉祥龍穴から室生寺前まで徒歩で戻り、近くの旅館で遅めの昼食をとることにした。食べたのは「山菜定食」で、正直山菜だとなめていたらこれが驚くほど美味しかった。特に美味しかったのは写真左中央のわらびをワサビ等のたれに漬けこんだもので、ご飯が無限に進むタイプのおかずだった。すっかりこのおかずにハマってしまった私はダメもとでお店の人にレシピを訪ねてみたら快く教えてくれたので、いつか自分で作ってみようと思っている。

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山菜定食

 ご飯を終え、バスと電車を乗り継いで桜井駅へ。次の目的地は大神神社(おおみわじんじゃ)である。こちらも友人が行きたがっていた場所で、実はすでに一度行っているらしいのだが私を連れて行きたいとのことであった。

 桜井駅からタクシーで大神神社の鳥居前に着くと、そこはすでに異様な雰囲気に包まれていた。夕方で薄暗いせいもあるだろう、まるで異界へと足を踏み入れるかのような重々しく不気味な空気がただよっている。参道を少し歩いてから鳥居を振り返ってみると、ちょうど西側にある鳥居からは逆光が刺し、自分が死後の世界に来てしまったかのような感覚に陥った。友人はもっぱら神社から私たちの方へと向かってくる気だけを問題にしていて参道の重々しい雰囲気はあまり気にしていなかったので、友人と話をしながら歩くことで気を紛らわせた。

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大神神社入口

 参道の幟には大神神社を称して「大和国一の神社」と書いてあったが、まさにその名にふさわしく、大きな本殿は荘厳そのものと言うほかない。御神体が背後の山であるこの神社は、山の気を境内中に巡らせている。
 友人がお祓いの無料券を持っていたので、私たちはさっそくお祓いをすることにした。昨日の伊勢神宮に続き2日連続のお祓いとなるが、まあそれくらいは大丈夫だろう。友人は実は1週間で3回目らしく、2人で何をやってるんだとけらけら笑っていた。祈祷殿は本殿からは少し離れているが、それでも山の気は隅々まで十分に染みとおっているのがわかった。
 お祓いはまたもや私と友人と神主の3名で行われた。初めに神主が太鼓をたたくと、山と森のイメージがすぐさま私の中に広がってくる。これはきっと御神体の姿が喚起されたのだろうと思った。神主は次に祝詞を唱え、大麻(おおぬさ)で邪気を祓い、鈴で再び邪気を祓った。鈴はシャリンシャリンと軽快な音が鳴り、身体の奥底まで通り抜けるようなとても良い音であった。お祓いの最後には御神酒を少しいただいたが、昨日伊勢神宮で飲んだ真水よりは酔わなかった。友人はお土産に鈴を買っていた。

 お祓いの終了時刻がちょうど大神神社の閉館時刻の17時であったため、私たちはお祓いを済ますとすぐに帰途に就いた。私は単線電車が好きなので、JR奈良線の三輪駅から桜井駅まで単線の旅(一駅だが)を楽しみ、それから近鉄線で宿に戻ることにした。夕食は宿でカオマンガイを作って食べた。友人の部屋からは、時おり鈴の音が聞こえてくる。

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JR奈良線・三輪駅周辺の踏切

 明日はいよいよ近畿の旅の最終日である。依水園という日本庭園に行くことだけは決まっているが、あとは何も決まっていない。疲れも少し溜まってきているので、体調と相談しつつ過ごしていきたいと思う。

近畿周遊記 その3

 今朝はいつもより1時間以上早い、5時50分に自然に目が覚めた。それでいてまったく眠くないし疲れもない。これは奈良の雰囲気が安定しているおかげだろうか、それとも単に私が浮かれていて眠気も疲れも感じていないだけなのか。とにかく今日は結果として1日を少しだけ長くすることができた。

 私と友人が朝一で向かった先は聖武天皇光明皇后陵であった。ここは国宝等には指定されていないしガイドブックにも載っていない、奈良に住む友人が見つけてくれた「穴場」である。ぱっと見た感じは木が生い茂った単なる丘だが、周囲の静けさも相まって雰囲気は相当に張りつめている。
 陵墓の入り口にはおっちゃんが1人立っていて私たちに話しかけてきた。いろいろな話をしたが、特におもしろかったのはこの陵墓に野生のシカがずっと昔から住み着いているとの情報だった。ひと通り話をした後参道へと進み、ちょっとして振り返ってみるともうおっちゃんはいなかった。
 私たちの他には植木の剪定をしている人が1人いるだけで、陵墓はしんと静まり返っている。シカのフンが所々に混ざった砂利を踏みしめながら参道を進んでいくと、正面に聖武天皇陵、右に光明皇后陵が見えてきた。私は右手から、友人は正面から、分かれてそれぞれ参拝することにした。
 光明皇后陵の周囲は優しい空気で満たされていた。すべてを受け入れてくれそうな懐の深さと悪事を断じて許さない威厳。こういう雰囲気の陵墓もあるのだと思った。

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光明皇后

 参拝を終え、一礼して立ち去ろうとすると「キュー」という音がどこからともなく何度も聞こえてきた。もしやと思いYouTubeでシカの鳴き声について調べてみると、果たしてその通りであった。野生の雌のシカが鳴いたのである。

 シカの鳴き声を耳に残しつつ聖武天皇陵へと進む。砂利道を踏みしめる音もまた心地よく、足取りは心なしか軽くなった。
 聖武天皇陵は光明皇后陵とは違い正面からしっかりと見られる分、背後の丘の存在感がよりダイレクトに伝わってくる。そのせいか、柵の内側に設置された鳥居は明らかに異界につながっているように思われた。しばらく見ていたら鳥居から目を離せなくなってしまったので、すぐさま一礼してそそくさと出口へと向かった。

  陵墓を後にした私たちは、そのまま興福寺へと向かった。途中、奈良女子大学の脇を通り過ぎたので同大名誉教授である岡潔の話になった。
 興福寺の前にはたくさんのシカがいる。人には慣れているはずだが、なぜだか私にはなかなか近寄ってきてくれなかった。友人はシカの背中を撫でながらシカと一緒に歩いていて、私はさすがだなあと思っていた。

 友人は興福寺の友の会に入っているので、私はありがたいことに「お連れ様」として無料で参拝することができた。入り口すぐそばの東金堂に早速入ってみると、様々な仏像がまるで一幅の絵画のように整然と並んでいた。天上界はおそらくこのようなものなのだろうと思わず納得してしまうような壮大さがあった。私は東金堂のお香の匂いが気に入ったのでお香を一箱購入した。3,300円であった。

 続いて私たちは国宝館に入った。国宝館というだけあってラインナップは国宝級の仏像ばかりであり、書きたいことは山ほどあるのだが、長くなってしまうのでここでは「阿修羅像」(国宝)についてだけ述べておく。

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阿修羅像(興福寺HPより)

 結論から言うと、私は阿修羅像に完璧に打ち負かされてしまった。私は文物を見るとき、文物を私の意識が通り抜けていくイメージを持つのだが、鋼鉄の棒のような阿修羅像の腕や上半身にはそれが通用せず見事にはじき返されてしまった。また、阿修羅像の顔は正面から見ると1つだけしか見えないのでさほど問題なかったのだが、斜めから見ると顔が2つ見えるようになり、それに伴って威力が激増する。私は2つの顔の威力から身を守るのが精いっぱいだった。
 阿修羅像にボコボコにされてしまった私が国宝館を出ると、友人は芝生の上に涼しい顔をして座っていた。話によると、阿修羅像を見るのはすでに5回目なので対処法もわかってきたらしい。
 私たちは駅に向かって歩き始めたが、私の眼前には阿修羅像の姿がチラついてしまい口を利く余裕などなく、友人はそんな私を見てけらけら笑っていた。先ほどは私から離れていったはずのシカが、今度は駆け足で近づいてきた。

  近鉄奈良駅から伊勢神宮までは3時間ほどかかる。私たちは奈良線橿原線、特急電車、バスを乗り継いで、伊勢神宮の内宮入り口に到着した。昼食はパンを途中駅で買っていたのでそれで済ませた。私が食べたのは半額になっていた謎のパンとピロシキで、とても美味しかった。
 なお、伊勢神宮は外宮から内宮の順に回るのがセオリーだとされているが、私と友人はそんなことはお構いなしに内宮から先に回ることにした。内宮行きのバスが外宮行きのバスよりも先に来たからである。

 内宮入り口には大きな鳥居、大きな橋、大きな松の木があり、いかにも神社の入り口らしいたたずまいである。鳥居の前で一礼し、右側通行の橋を元気よく歩き出した。ちなみに、順路はそのまま右回りだということに後で気づいたのだが、私たちは左回りで、つまり逆走してしまっていた。外宮には寄らずいきなり内宮から行くわ、内宮に来たら来たで逆走するわ、とんだうっかり屋さんである。

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内宮入り口

 伊勢神宮の木はすべてご神木であり、水はすべて御神酒であり、雰囲気は荘厳かつ崇高を極めている。これは私の筆舌によっては到底記述し得るものではないから、私の印象に特に残ったことだけを述べていきたいと思う。全体の雰囲気について知りたい方は実際に伊勢神宮に足を運んでいただきたい。伊勢神宮が期待を裏切らないことは、私と友人が胸を張って保証する。

 伊勢神宮でまず気づいたのは、山頂から山間をぬって流れてくる気の大きさ、強さ、質の良さである。案内板には天照大御神を祭っているとあるが、初めはこの山の霊妙さが人々の心を動かしたのではないだろうか。あるいは、この山の霊妙さが天照大御神なのか。いずれにせよ、私たちはこの気に当てられて終始「やべ~」と口走っていた。

 先ほども述べたが、伊勢神宮の木はすべてご神木である。大きさ、太さ、オーラ、どれをとっても超一級で、おそらく街中にあるような神社に持ち込めばすぐにご神木として認定されるだろう。
 私はその「ご神木」に指をつけ、私の気をご神木の中へと流す。ご神木の中に大きなエネルギーがあるのがわかる。今度は逆に、私の指を通るようにして、ご神木のエネルギーを体内に吸い上げてみる。加減がわからずエネルギーを吸い上げすぎてしまい、思わず木から手を放してしまう。すると、目の前にご神木の枝がストンと落ちてくる。もうやめときなと言われた気がした。

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ご神木の例

 伊勢神宮の水はどこも綺麗である。滔々と流れる川も、静かに流れる小川も、透明度がとても高い。川には小魚やそれを狙う鳥、小川にはアメンボがいる。水の流れは生きものだけでなく、山の気をも乗せて運んでくる。
 伊勢神宮の水には何かしらの霊力が宿っていることは明らかだったから、私と友人は係員の目を盗んで小川の水を2口飲んだ。味はまったくの無味無臭、口当たりは驚くほどまろやかで、水の角ばったところをすべて削り取って極限まで丸くしたような感覚だった。飲み終えて少し経つと、不思議なことに私たちはすっかり酔っぱらってしまった。アルコールなど入っているわけはないが、バランス感覚はぐらつき視点は揺れ、典型的な酔いの症状が現れていた。私が先に「伊勢神宮の水はすべて御神酒である」と述べたのはこのためである。興味がありかつ健康に自信のある人は、「御神酒」に挑戦してみてはいかがだろうか(自己責任でお願いします)。

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御神酒の例

 内宮ではお祓い(御饌・みけ)を受けた。御饌はまず受付で氏名、住所、願い事を記入し、それを神主に神前で読み上げてもらうタイプのお祓いである。私は願い事がよくわからなかったので「心願成就」に丸をつけておいた。
 時間になり待合室から外に出たところ、日差しは出ているのに雨が降っていた。なんだか神々しい光景だった。
 御饌殿の中はとても静かで、私と友人と神主の3人しかいなかった。神主が祝詞を唱え始めると部屋の静けさはかえって強く認識されるように感じられ、また神の存在が少しずつ迫ってくるような気もする。私は自分の名前が神主によって読み上げられると、神主が私を神に向かって放り投げたような感覚になった。結局、神主は私を神に向かって2回投げた。金額は5,000円と少し高いが、実際に受けてみると5,000円払う価値は十分にあると思えた。

 他に言っておきたいことは山ほどあるが(そもそも本殿について何も話していない!)、あまり長くなっても良くないのでここで終わりにする。 内宮だけで体力も時間も限界だったので、外宮にはいかなかった。

 伊勢神宮を後にしたとき、時刻はすっかり夕方だった。私たちはお腹が空いていたのでひとまずバス停そばの定食屋で夕食をとることにした。私たちは伊勢うどん、手巻き寿司、サザエの磯焼きをがつがつと食べて勘定を済ませると、特急電車で宿泊先の大和八木へと向かった。途中、リュックを開けたら興福寺で買ったお香の匂いが漂ってきた。

 大和八木は駅前がにぎわっていて便利だが、駅から少し歩くと昔ながらの風情のある街並みが広がっている。私たちが今日泊まるホテルは、その風情ある街並みの中にある。
 ホテルではフロントのおっちゃんと美術について話が盛り上がり、おっちゃんが自身のコレクションを見せてくれるという超スペシャルイベントが発生した。プライベートな内容なので詳しくは言えないのが残念だが、僕と友人は興奮しすぎておっちゃんを2時間以上つかまえてしゃべりまくり、その後は共通の友人に電話をかけその友人相手にまた1時間以上しゃべりまくった。今日の締めくくりにふさわしい出来事だったと思う。

  明日は室生寺大神神社を訪れる予定である。今回の旅行は想像以上に楽しめている。

近畿周遊記 その2

  名古屋駅手前からうたた寝をしていた私が目を覚ましたとき、のぞみ号は岐阜の山中にあった。標高の高いところほど雨雲は近い。岐阜の雨雲は手でつかめそうなほど近くに見えた。

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岐阜山中の雲

 雲はわたでできているので手でそっとつかむことができる。優しく扱えばちぎったりくっつけたりして遊べるし、強くにぎれば水滴になる。こすり合わせれば中からゴロゴロと音が鳴る。上に人が乗っていたら、素直に元の場所に戻さなければならない。
 そんなことを取り留めもなく考えていたらあっという間に新大阪駅に着いていた。時刻は13時を少し回ったところであった。

 大阪はさすがに人が多い。エスカレーターの列が右側に変わっているのを見て関西に来たことをしみじみ感じつつ、駅地下のレストラン街に向かった。
 階段を下りて右に曲がるとランチで定食を出している居酒屋があったので入ってみた。私は大阪の粉ものが大好きなので串カツ定食にしようかと思ったが、串カツでご飯を食べるイメージがどうしても湧かなかったので焼肉定食を注文した。大阪の人はお好み焼きでご飯を食べられるという伝説を耳にしたことがあるから、串カツ定食も大阪では案外普通なのかもしれない。
 焼肉定食は写真のとおりおかずの種類が多くてうれしかった。焼肉ももちろん美味しかったが、なぜか特にみそ汁が美味しかった。でも、私が食べている間ずっと火災報知器が誤作動で鳴り響いていてうるさかった。

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焼肉定食

 食後はすぐさま大阪メトロ御堂筋線(名前がかっこいい)に乗り大阪市立東洋陶磁美術館へと向かった。天気は曇り、幸いにも空は明るく雨はしばらく降りそうにない。
 道は覚えているのでまっすぐに中之島を歩き東洋陶磁美術館に着くと、警備員をはじめ美術館関係者が皆あいさつをしてくれた。東京に比べて大阪は人と人との距離が近く、ちょっとしたあいさつだけでも心が通ったような気がする。私はそれが心地良く感じる。
 東洋陶磁美術館では天目の特別展を開催しており、それに常設展示を加えると全体としてとても見ごたえのあるラインナップだった。職業柄、東洋陶磁美術館は3周すると決めているので今日もちゃんと3周した。もちろん疲れはするのだが、1周ごとに「何も考えずに良いモノを見抜く」感覚が増していくのがおもしろくてついやってしまう。
 展示の中には「見立天目」という漆で天目茶碗を再現したものがあり、そのことについて美術館スタッフと色々話す機会があった。スタッフは見立天目がそれぞれどの天目茶碗を模したものなのかを解説してくれ、私はその再現度の高さに驚くばかりだった。写真ではちょっと見づらいかもしれないが、生で見ると本物の天目茶碗そっくりで見ただけではなかなか見分けがつかない。光沢がちょっとなめらかすぎるかな、といったくらいだ。
 そこで私は「天目茶碗と見立天目を判別するには重さを基準にするしかなさそうですね」とスタッフに言った。スタッフは驚いたように笑い、天目茶碗と見立天目では重さが10倍も違うことだってあるとオタクトークを繰り広げてくれた。

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見立天目

 東洋陶磁美術館を存分に味わった後は、予定どおり友人の待つ奈良へと向かうことにした。
 大阪メトロ御堂筋線から近鉄線を経由して奈良へと向かっていたのだが、生駒駅に到着する少し前に雰囲気がいきなり安定したのがわかった。何が何やらわからず車内や窓の外をキョロキョロと見まわしてしまったが、おそらく奈良に入ったのだろうと思った。後に友人が教えてくれたところによると、生駒市は大阪と接しており私が安定を感じた場所がちょうど県境だったのだろうということであった。
 改札を出て友人と無事合流し、雨がしとしと降っていたので傘をさして歩き出した。すると途端に奇妙な感覚が私を襲った。一言でいうなら、腰から下を何者かによってまんべんなく支えられているような感覚だ。こう言ってしまうと気持ち悪いかもしれないが、実際は足腰が安定するようになりとても歩きやすい。奈良の陰陽は安定していると話には聞いていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。大地がしっかり安定している、まさにそんな印象を受けた。
 友人が住んでいるのは学生向けの寮の一室である。友人は学生ではないが、今は新型コロナウイルスの影響で学生が集まらず入居者が0名ということもあり入居することができたとのことであった。最大9名を受け入れ可能な寮の中は、一人で住むにはいささか広すぎるくらいのスペースがある。私はここまで広々としてしまっては悠々自適ではあっても寂しくなることだってあるだろうと思った。後に本人もそう言っていた。

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寮のリビングから中庭を望む

 私が泊まる寮の空き部屋は小綺麗で7畳ほどの広さがある。寮には洗濯機等をはじめ生活用品が一通り揃っているにもかかわらず(それに加えてタオルを貸し出してくれた!)、宿泊費は1泊3,300円という破格の安さだ。壁には水墨画の掛け軸があり、布団からは柔軟剤の良い香りが漂っている。
 友人と会うのは半年ぶりだったので、本当にたくさんのことを話した。友人といってもただの友人ではない、私の一番の友人だ。一緒にいる間はずっと話していたし、ずっと笑っていた。
 寮に着いてからは水道水をたくさん飲んだ。友人の勧めにしたがって普段あまり飲まない水道水を飲んでみたらけっこう美味しくて驚いた。着いてから寝るまでの間に、誇張抜きでコップ10杯は飲んだのではなかろうか。友人とは「身体の60%が水分だから奈良の水をたくさん飲んで全身奈良になろうね」という話をしていた。
 夕食はKALDIレトルトカレービーフカレーグリーンカレー)を食べた。辛くて汗がたくさん出たが、美味しかった。

 明日は朝一で興福寺に行き、そのまま伊勢神宮へと小旅行をする予定である。世界遺産をハシゴする贅沢な一日となりそうだ。

近畿周遊記 その1

  10時42分発新大阪行のぞみ号の車内はとても空いており快適である。東京の天候は晴れ、湿度はさほど高くない。睡眠は十分にとったし、忘れ物もおそらくない。出発にはこの上ないコンディションだろう。
 今日は昼過ぎに新大阪に着き、昼食を食べ(粉ものを狙っている)、大阪市立東洋陶磁美術館を訪れたのち、奈良に住む友人宅へと向かう予定である。奈良にはそのまま3泊し、日曜日に東京へと戻る。東京は今すべてがごちゃごちゃしていて心穏やかになれないから、落ち着きのある奈良で休息をとり、体力・気力・霊力を回復しようという算段である。 

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東京駅改札にて

 旅に出るときは、帰りのことが頭に浮かんでしまい少し切なくなる。家から駅に向かうときは帰りもこの道を歩くのだろうと思うし、新幹線に乗るときは帰りもこのホームを踏むのだろうと思う。
 東海道新幹線では、途中駅に用事がある場合は別だが、基本的にのぞみ号しか乗らない。私は快速電車で途中駅をすっ飛ばしながら先に進むのが好きだからだ。ひかり号はまだしも、こだま号に乗ったら発狂すると思う。
 また、東海道新幹線では海を見ておきたいから、行きは進行方向左側、帰りは進行方向右側の座席に座る。東海道で海を見ないのはなんだか違う気がする。
 新幹線の中では、景色を見ているか、本を読むか、文章を書くか、寝ている。とりわけ窓から見る景色は一番の楽しみだ。私の知らない街、畑、山、川、空がそこら中にあるのに、すぐそばを通り過ぎていてもなんだか遠い世界を見ているようで実感が湧かない。この街には人が住んでいるのだろうか、この山には生きものがいるのだろうか、この川はどこからどこに向かって流れているのだろうか、そもそも今私が見ているこれは本当にあるのだろうか。新幹線からの景色を見ていると、そんな幻想的な感覚に包まれる。

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のぞみ号車内にて

  車内販売がサンドイッチとコーヒーを売り歩き、ときおりトイレに立つ人や警備員がうろうろしている。話し声はほとんどなく、新幹線が走るときの「キーン」と「ゴオオ」が混ざったあの音、あとはお菓子や弁当の包みをいじる音だけが聞こえてくる。
 掛川駅を過ぎたあたりでは一雨あったがすぐに止んだ。窓からは相変わらず光がさしているが、雲の量は明らかに増え、遠く南の空は鉛色にくすんできている。風は近頃ずっと南風だから、これからもきっと雨が降るのだろう。
 新幹線のアナウンス音はいつ聞いても切ない気持ちになる。すべては移り行くのだということがはっきりと認識されるような気がする。すでに過ぎ去ったとき、過ぎ去りつつある今このとき、過ぎ去るであろうとき、そうした流れの止まらなさは、過ぎゆく景色ではなく、アナウンス音が思い出させてくれる。

  のぞみ号はまもなく名古屋駅に到着する。ひとまずここで筆を擱き、京都駅までの間少し寝ようと思う。

生き甲斐について

 この前、後輩に「生き甲斐は何ですか」と訊かれた。生き甲斐。手元の『広辞苑 第五版』には「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」とある。私はうまく答えることができず、お茶を濁した。

 私は良い物、良い人、良い場所に触れるのが好きだ。むしろ私はそのようなことしかしたくない。その意味では、私には「生き甲斐」とやらがあるのかもしれない。
 本を読むこと、美術を見ること、語学を学ぶこと、文章を書くこと、音楽を聴くこと、歌うこと、旅行すること、優れた人や馴染みの人と会うこと、美味しいものを食べること、美味しいお酒を飲むこと、たばこを吸うこと。やるべきことが多すぎて1日24時間ではとても足りない。私だけ1日72時間あればいい。

 私にはこのように好きなことがたくさんあるが、こうした好きなことを「生き甲斐」と表現するのはなぜか違和感がある。本を読むのは好きだが、本を読むのが生き甲斐だとは思わない。この差はいったい何なのだろう?
 思えば「趣味」についてもそうだ。本を読むのは好きでも、本を読むのが趣味だとは言いたくない。もっと言えば、本を読むのは好きでも本を読むのが好きなことだとも(趣味よりはましだが)言いたくない。何なら本を読むのが好きだとも言いたくない。そうですね、本はよく読むかもしれませんね……くらいしか言いたくない。黙って本を読ませろ!

 ここには、自分の好きなことやすべきことを「生き甲斐」や「趣味」といった名詞(言葉)で表現することへの反発がある。自分の好きなことやすべきことを「生き甲斐」や「趣味」といった名詞で表現すると、伝えるべきことを無理やりその名詞に押し込めているような気がする。それゆえ、「生き甲斐」や「趣味」といった名詞では私の言いたかったことは伝わらない、そんな感覚がある。
 最近はましになってきているのかもしれないが、それでも名詞に何かを押し込めようとする風潮は色濃く残っている(というかいちいち名詞に変換しないとそれが何なのか理解できない人種が一定数いる)。私はそうした風潮が窮屈で仕方ないので、早くなくなればいいと思っている。
 われわれは言葉以上のことを理解できないにもかかわらず、言葉では絶対に表現できない何かが常にそこにある。言葉はあくまでも表現したいことを外側からとらえたものにすぎない。本当に表現したいことは、個々人が言葉の網目をかいくぐり、内側からとらえ直していくしかない。だから例えば、私にとって本を読むことが何を意味するかがわかるためには、個々人が「生き甲斐」「趣味」「好きなこと」といった名詞をかいくぐって考える必要がある。いや、そこではもう「考える」など抜きで直接「わかる」くらいの力の抜け具合が求められるのだろう。あーわかるわかる、みたいな。

目と目が合う話

 中学生のころ、同じ学年に「私と目があった人は全員私のことが好き」という規則を持っている女子生徒がいた。その規則のおかしさもさることながら、彼女が残念ながらかわいくなかった(むしろ容姿が劣っていた)こともあって周りからは白い目で見られていたが、今思い返してみると彼女がそうしたおかしな規則を採用したこと自体はなんらおかしなことではなかったと思う。

 常識的にはただ目が合っただけで「相手が私を好いている」とは考えないし、彼女のそうした規則はおかしいとしか言いようがない(何度も目が合ったりしていれば話は別だが、彼女は文字通り「ただ目が合っただけで」相手が自分を好いていると考えるのだ)。目が合った人全員を「自分のことが好きな人」と見なす規則は、われわれの(少なくとも私の)「常識」ではないからだ。
 しかし、われわれの常識からみれば彼女の規則は確かにおかしなものに映るが、彼女がそのような規則を彼女の「常識」として採用すること自体はなんらおかしなことではないのではないか。彼女の規則がおかしく映るのはそれをわれわれが「常識」と呼ぶ世界観の内部においてとらえるからであり、その「常識」から距離を置いてしまえば別におかしくないのではないだろうか。

 このように話すと「常識から離れたらどんな行為だっておかしくないのは当たり前だろう」というお叱りを受けそうだが、私がしたいのはそんな単純な話ではない。
 私がしたかったのは、例えば「本棚に本を並べて」と言われて本を並べていた人がさも当然のごとく10冊並べるごとに本を180度回転させていたとき(最初の10冊は普通に、次の10冊は逆さまに……以下同様)、その人は「間違って」いたのかどうか、ということだ。
 私の考えでは、その人は間違っているとも言えるし、間違っていないとも言える。本棚に本を並べるとき、本を10冊ごとに180度回転させる規則を持っていない人(=それが常識である人)からすればその人の規則は間違いだし、本を10冊ごとに180度回転させる規則を持っている人(=それが常識である人)からすればその人の規則は間違っていない。今のところは、180度回転させずにそのまま並べる人が多いというだけのことである。
 同様に、人と人が目を合わせたとき、ある者は恋に落ち、ある者は喧嘩を始め、ある者はそのまま何事もなかったかのように目を逸らすだろう。だが、そこには「このようにしなければならない」といったルールはなく、それゆえ一見みんなが共通の規則に則ってそこからすべてが始まっているように見えても、本当は個々人がリアクションの規則を自分自身で習得し日々実践しているはずなのだ。われわれは共同生活のなかで知らず知らずのうちにたくさんのリアクションの規則を身につけているが、どのような規則を身につけるかということ自体は実は無限の可能性を孕んでいて、しかも採用した規則同士は原理的には対等なのだ。

 ところが、社会では諸規則における共通の基準のようなものがあり、たいていの人はそれに則って生きている。たいていの人が則って生きているところのそれ(一般に「常識」と呼ばれる)は常に「正しさ」を帯び、それに適合できない人は「間違っている」と見なされる。
 私はこうした構図が現にあることが奇跡だと思う。だって、何を常識として採用するかということ自体には基準がなく、個々人がそれぞれの常識を持っていてよいはずなのに、多くは共通してしまっているからだ。
 だから私は、この世界には事件が少なすぎると思う。これはもっと事件が起きればよいと願っているとかそういう話ではなくて、例えば1回電車に乗るごとに誰かをぶん殴るとか食べ物を口に運ぶたびに歌を歌うとか、私の規則とは全然違う規則を採用している人がもっといてもおかしくないはずなのに、どうしてそのようになっていない(おかげで驚くほど平穏に日々を過ごすことができる)のか、という困惑である。

 私としては規則ができるだけ共通であるほうが平穏に日々を過ごせてありがたいのだが(70億人が思い思いの規則を採用していたら社会が成り立たないだろう)、時折その共通とそれに伴う「正しさ」が窮屈に感じられてしまうことがある。正直に言えば、規則の共通とそれに伴う「正しさ」がたまたまのものであるという認識を持っている人があまりにも少なく、あたかもそれをアプリオリなものであるかのようにとらえ平然と「正しさ」で人を裁くような人があまりにも多いように感じられる。
 私は幸いにも共通の規則に合わせる能力を持ってはいるが、それでも私自身の規則はこれからも大切にしていきたいし、他の人もそうであってほしいなと思う。私は、私や他の人たちと異なった規則を採用している人がいてもそれが間違いだとは断定せず、私たちと異なった規則を採用していることに心の中で共感し(それはいったい何への共感なのだろう?)、黙って距離を置くように心がけている。