申如録

日常生活で考えたことなど

翻訳の話

 

1.翻訳は不可能?

A:翻訳ってさ、ほんとうに可能だと思う? 僕さ、翻訳はほんとうはできないんじゃないか、って思うんだ。

B:そうかな、僕は可能だと思うなあ。だって、現に翻訳はいたるところでなされているじゃないか。君の好きな『カラマーゾフの兄弟』も『ワーニャ伯父さん』も、みんな翻訳のおかげで読めるんだよ。

A:うーん……それはたしかにそうなんだけど、僕が言いたいのはそうじゃなくて、たとえば僕が「赤」と呼ぶ色と英語の「red」の指す色は違うはずでしょ? 言語が異なれば世界の切り取り方も異なる、ってのはよく聞く話だしね。だとしたら、僕が「赤」と伝えたくて「red」と言ってみても、僕の伝えたいことはほんとうは伝わっていないことになるじゃないか。

B:なるほど、君の言うことは一見もっともだけど、ちょっと吟味する必要があるな。たしかに、言語が異なれば世界の切り取り方は異なるだろう。それは色に限った話じゃなくて、感情や思考をはじめ、あらゆることに当てはまるといえる。このことについては僕も異論はないよ。ただ、気をつけておきたいのは、この議論がそもそも翻訳可能性を根底に置いたものである、ということだな。まあこの話についてはあとの方ですることになると思うけど。

A:えっ? 僕は翻訳がほんとうはできないんじゃないかって疑問を出したつもりだったんだけど……

B:翻訳可能性云々の話はあとにするとして、じゃ逆に質問するけど、君が「言語が異なれば、世界の切り取り方も異なる」と言うとき、世界の切り取り方が母語と別言語で異なることはどうしてわかるんだい? 君が「赤とredは同じ色を指すと考えられているけど、ほんとうは違っているんだ」と言うとき、その「ほんとうは」はどこからくるんだい? だって君は日本語話者で、日本語のことはわかるかもしれないけれど、英語のことはよくわからないはずじゃないか。だとしたら、君が言えるのは「翻訳は伝えたいことを伝えてくれているかわからない」ということだけで、それを「翻訳はほんとうは不可能だ」と言ってしまうのは一種の越権行為なんじゃかないかな。

A:むむっ。それじゃ、中国語の「吃」には日本語の「食べる」と「飲む」の意味があるんだけど(薬を飲むときには「吃」を使うんだ)、これは「吃」にそっくりそのまま当てはまる言葉が日本語にないってことの端的な例で、翻訳の不可能性を意味してるんじゃないのかな?

B:それは翻訳の限界を示すものかもしれないけど、不可能性は意味しないと思うね。中国語の原文で「吃」が使われていたとして、なにか物を口に含んでいたら「食べる」と訳し、薬を口に含んでいたら「飲む」と訳せばいいだけの話だからね。翻訳いっちょあがりさ。僕の出身地の青森県には「津軽弁」っていう方言があって、すっごく寒いことを「しばれる」って表現するんだけど、たしかに「しばれる」に相当する単語は標準語にはないんだ。でも、標準語で「すっごく寒い」って言えば「しばれる」で表現したいあの寒さをだいたいは表現できる。逐語訳ができなければ、臨機応変に言葉を組み合わせるまでさ。

A:そんなもんかなあ。

B:そんなもんだよ。それじゃ、異なる言語間の話だとちょっとわかりにくいから、僕と君との会話を例に、翻訳の話をさらに進めてみようか。

 

2.言葉の機能と伝わらなさ

A:翻訳? いやいや僕と君は同じ日本語を使ってしゃべってるじゃないか。しかもお互い標準語で。

B:ところが実はそうじゃなくて、僕らは今でもちゃんと翻訳し続けているのさ。むしろ、僕たちが言語を使ってコミュニケーションをとるときには、どうしたって翻訳せざるを得ないんだ。翻訳なしのコミュニケーションなんてまずありえないと言っていい。僕がさっき「この議論がそもそも翻訳可能性を根底に置いたものである」なんて仰々しいことを言ったのは、実は言語の有するこうした特徴を念頭に置いてのことなんだ。

A :なんだか難しくてよくわからないなあ。

B:君はさっき「赤」と「red」の違いについて話していたよね。でもそれなら、僕の言う「赤」と君の言う「赤」も違うんだって言えるはずなんじゃないかな。

A:あ、たしかに。みんなこの色を「赤」って呼んでるけど、実は他人の目には僕が「緑」って呼んでる色に見えてるんじゃないか、逆に僕が「緑」って呼んでる色は、みんなの目には僕が「赤」って呼んでる色に見えてるんじゃないか、みたいなことはたまに考えるな。

B:僕が言いたいのもまあだいたいそんなところだね。ただ、僕の論点はさらにそれを突き詰めたようなところにあって、そもそも世界で物が見えているのは僕だけなんだ、という立場にいったん立っているんだ。だって僕は僕の目からしか物を見たことがないし、この赤だって実際には僕にしかわからないんだからね。

A:うんうん、それは比較的わかりやすいね。僕が見聞きしたり経験したりすることは、究極的には僕ひとりのものだ。それは正しいよ。

B:「究極的には」なんて仰々しく言わなくたって、はじめから君だけのものだよ。世界のうちにはただ一人、特殊なあり方をしている僕という人間がいる、これはどうにも疑いようがない。でも、大切なのはここなんだけど、そのことを一体どうやって言葉で表現できるというんだろう? だって、僕が「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」と言えば、少なくとも君は賛成してくれるわけだけど(さっき君は「正しい」と言って賛成してくれたね)、でも僕っていうのはそういう賛成すらできないような別格の存在なんだということが、「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」という言葉で表現したかったことなんだよ。僕が言いたかったことはどうあがいたって原理的に伝わりようがないし、相手に伝わったときそれはいつの間にか変換されてしまっているのさ。わかるかい、このびっくりするような違いが?

A:あ、そっか。「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」という言葉を聞いたとき、ほんとうはBくんがBくんについて言ったはずなのに、僕はいつの間にかそれを僕の話として受け取っちゃってたな。これが君の言う「変換されてしまっている」ってこと?

B:そう、まさにそのとおり。言葉は必然的にこのことを変換して覆い隠してしまうのさ。そういう機能がすでにインプットされているんだね。で、このことっていうのはつまり「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」ということで、僕らはこうした機能を持つ言語を使ってコミュニケーションをとるわけでしょ? だから、コミュニケーションとは、「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」ことを変換して覆い隠してしまうことによって成り立つ、ともいえるわけだ。

A:言葉によっては伝えられないこと、それが自分にとって一番身近なことなんだね。でも、それってちょっと寂しいような気もするなあ……結局僕は他人に対して何にも伝えらないんじゃないか、絶対にひとりぼっちなんじゃないか、って不安になってくるよ。

B:いや、それがそうでもないんだよ。だって、すべては伝わっているんだからさ。

 

3.すべては伝わっている

A:え? いやいや、それが全然伝えられないというのが今まで話してきたことじゃないか。

B:それじゃ聞くけど、その「伝えられないこと」っていうのは何を指すんだい? 「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」こと、なんて言うのはナシだよ、だって全世界の70億人が同じことを言えるわけだから。70億人が同じことを言えて、それを理解できる以上、それは70億人に共通していると言わざるを得ないでしょ? 同様に、この色を「赤」と呼んで、それが他人にも通じるなら、その他人も同様にこの色が「赤」に見えているのさ。それ以上のことはない、少なくともないと前提することによってコミュニケーションは円滑に進むんだ。

A:なるほど、たしかに「夕焼けが見事に赤いねえ」と言われて「あなたはそうおっしゃいますが、あなたにはこの夕焼けがほんとうに赤に見えているんですか? あなたが見ているその色は、実は僕が緑と呼んでいるその色なんじゃないですか?」なんて返事したら会話が進まないもんね。

B:そう、だから「夕焼けが見事に赤いねえ」と言われたら、その人にも自分と同じように赤が見えていると理解するしかないし、「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」と言われたら、その人も僕と同じようなあり方をしていると理解するしかないんだ。……ここまできたら、僕がさっき言った「翻訳可能性」っていうのも何のことなのかわかってくるんじゃないかな? 「翻訳可能性」っていうのはね、なんてことはない、日常的な言語を使いこなす能力のことなんだ。この能力がある以上、翻訳はすでに可能になってしまっているのさ。言語表現に乗っかるものはすべて伝わりうる、ただし自分自身にとって一番身近で大切なことを覆い隠し続けることによってね。

A:なるほどなあ。

B:で、話を戻すと、「赤」と「red」の指す色はたしかに違うかもしれない。だけど、それらが単純に比較できないものである以上、「赤」と「red」の指す色は一応は同じだと考えてコミュニケーションするしかないんだ。もちろん、赤に見えたから「red」と言ったら、「いやそいつはpinkだな」と言われちゃうことはあるかもしれない。たしかにそれは翻訳の失敗といえる。でも、そしたら自分の中で「赤」「red」「pink」の基準を修正すれば、次に似たような場面があったとき「pink」とちゃんと言えるようになるじゃないか。そしたら翻訳は成功だってことになるよね。そして、この修正がそもそも可能だということが、まさに「翻訳可能性」の上に成り立っているんだ。だから、僕らはすべてが伝わりうることを前提に、今までどおり言葉を使っていくしかないのさ。

A:今まで何気なく使っていた言葉って、単純に見えるけど案外複雑で、それでいて整合性が高いのかもしれないね。

 

4.疑問ふたたび

A:……あれ、でもさ、僕らが言語を使う以上は「翻訳可能性」に立脚せざるを得なくて、それ以上のことが言えないことによってコミュニケーションが成り立っているんだよね? だったらさ、僕が考えた疑問とか、「世界のうちで僕だけが特殊なあり方をしている」って事実は、いったいどこから出てくるの? というかそういうことはそもそも無意味なことなの? もし仮に世界のすべてが「翻訳可能性」に徹頭徹尾立脚したものだったら、そうしたことは出てこないはずじゃない? これはいったい何なのさ。

B:それもめちゃくちゃおもしろいトピックなんだけど、今日は議論がひと区切りついたところでやめにして、これから先は後日ゆっくり話すとしよう。