申如録

日常生活で考えたことなど

反出生主義について考える

転載にあたって

 この記事は某大学の刊行物への寄稿を一部改変したものです。その刊行物の読者はたいして多くないでしょうし(失礼)、刊行物自体がそもそも営利目的ではありませんから、せっかくなら寄稿をこのブログにも載せてしまえ、というわけです。
 タイトルにもあるとおり、この記事は反出生主義に関するものです。反出生主義について知るのが初めての方だけでなく、すでにある程度は知っている方にも読んでもらえるような内容にしてあります。反出生主義のことを少しでも多くの人に知ってもらうことに加え、既存の議論に対して一石を投じることがこの記事のねらいです。

 中国語に「抛磚引玉」という四字熟語があります。瓦を投げて玉(ぎょく)を引き寄せる、つまり未熟な議論によって優れた議論を誘発することを指します。
 この記事がまさに瓦としての役割を果たし、玉を生み出すきっかけになったなら、筆者としてこれ以上うれしいことはありません。

反出生主義について考える

子どもを生む人はさ、みんなほんとに自分のことしか考えないの。生まれてくる子どものことを考えないの。子どものことを考えて、子どもを生んだ親なんて、この世界にひとりもいないんだよ。ねえ、すごいことだと思わない? ――川上未映子『夏物語』

I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね ――吉野弘「I was born」

はじめに―反出生主義とは何か

 反出生主義とは、人間が生まれてくることや人間を生み出すことを疑問視し、否定する思想である。人の出生に関しては反出生主義や「ガチャ」が最近ホットな話題だから、名称を耳にしたことがある人も少なくないだろう。ここではその反出生主義を手がかりに、子どもを生むこと/生まれることについて考えてみたい。(注:私は反出生主義者ではありません、念のため。)

反出生主義について考えてもよいのか

 反出生主義のような思想に対しては、その内容を知る前から反感を示す人がいる。世の中には根拠を問うこと自体が不道徳な逸脱行為として非難されるものがあり、この反出生主義もその一つだからだ。
 例えば「人を殺してはいけない」に対して「なぜ?」と問うことは、たとえそれが純粋な疑問であったとしても、ただそれを問うたという事実をもって逸脱行為=不道徳だと非難されることがある。「子どもが欲しい」に対して「なぜ?」と問うことも同様で、子どもを生むことが当たり前だと考える人たちにとって、その疑問は逸脱行為として道徳的に非難すべきものなのだ。

 だが私は、反出生主義に興味のある人はもちろん、反感を覚える人にも反出生主義について知り、考えてほしいと思っている。私の理解では、反出生主義は生む側(親)よりも生み出される側(子ども)の立場に立って出生について考える。そんな反出生主義の視点を借りて、子どもを生むということが生み出される子どもにとっていったいどういうことなのかを考えることは、子どもに対する一つの愛にもなるのではないか。
 また、この文章の読者に学生―特に出生について疑問を持っている―がいるなら、その疑問を他の何かでごまかしたりがんばって忘れたりしなくてもいいのだと伝えたい。大学には、そのような(不道徳な)問いにとことん浸り、とことん考え抜くことを許してくれる自由な空気があるのだから。

反出生主義とはそもそも誰について考えることなのか

 反出生主義について考えるときにまず明らかにすべきなのは、そもそも生み出される存在が何なのかということだ。反出生主義に関する議論では人間一般(子ども一般)の出生について論じることが多いが、私は結局のところ私としてしか生きたことがないのだから、私という存在から離れていきなり人間一般について考えたり、それをまだ生まれてすらいない子どもに当てはめたりしても議論は実感に欠けるだろう。
 そこで、反出生主義について考える際は、まずは私が今ここに生きていることがどういうことなのかを考えておく必要がある。詳しくは後で述べるが、反出生主義とは今ここに生きている私について考えた結果、副次的に浮かび上がる問題意識なのだ。

私とは内容的規定を持たない存在=世界である

 私が今ここに生きていることは、文字どおり奇跡としか言いようがない。それは両親がたまたま出会いたまたま恋に落ちて私が生まれたからとかそういう確率の話ではなく、そこからだけ世界が開けているような私が現に今ここにただ一つ存在しているという事実そのものが比類ないということだ。

 私が存在しないことは世界が存在しないことに等しいという意味において、私とはすなわち世界そのものである。世界は私が生まれる前もあったし死んだ後もあるだろうが、その世界は私には微塵も関係ない。世界が現にあることは、私が現にあることと切っても切れない関係にある。
 また、私とはいかなる内容的規定にかかわらず存在するただ一つのものでもある。例えば、私がたつのすけAとたつのすけBに分裂したつのすけBが私だったなら、たつのすけAとたつのすけBは内容的には同一であっても、たつのすけBは端的に私でありたつのすけAは端的に他人だろう。
 要するに、私とはなぜか知らないが現に今ここにただ一つ存在する世界そのものであり、そんなものは古今東西どこを見てもこれ一つしかないという極めて特異な存在なのだ。

 子どもを生むことは、だから、単なる一個人を生むのではない。それは新たな私を生むということ、言い換えれば世界を生むことにほかならない。反出生主義を考えるにあたっては、私という存在のこの途方もない巨大さをとらえそこなってしまうと、その問題提起の重みが実感できなくなってしまう。

反出生主義は何を問題にするのか

 反出生主義に関する議論では、生まれてくる子どもが不幸になる可能性を問題にすることが多い。確かに子どもを生むことは子どもが不幸になる可能性を孕んだ「ガチャ」であることは否めないから、子どもの幸/不幸は一つの論点になりうる。

 しかし問題の核心は子どもの幸/不幸などではなく、前節で述べたように、子どもを生むことによって生み出される存在(私)が単なる一個人ではなく一つの世界だということにある。つまり、そのような一つの世界としての私を他人が生み出してしまえるところに問題の核心があるのだ。
 出生という出来事において「ガチャ」を引くのは他人(親)なのに、その結果は当の本人(子ども)が引き受けなければならない。この原因と結果の主体のねじれは、引き受けるべき結果(私=世界)の途方もない巨大さと相まって、出生に対する疑問や否定へと結びついていくのである。

 出生は確かに比類ない一つの奇跡ではある。だが同時に、それはある種の越権行為でもあるだろう。

おわりに―反出生主義の限界と可能性

 反出生主義に反論することはたやすい。「子どもがいなければ社会保障制度を維持できない」と真正面から主張することも可能だし、「善悪の議論はそもそも行為の動機に直結しない」と主張して議論の土台自体を掘り崩すことも可能である。また、先の「私=世界」の観点に立って、生み出される私という存在が内容的規定を持たないのなら、出生はそもそも親の責任ではない」と主張することも可能である。
 それでは反出生主義について考えることはまったく無意味なのだろうか。そうではない。先に述べたとおり、反出生主義とは私という存在について考えた結果、副次的に浮かび上がる問題意識である。反出生主義の根底に世界としての私が在り、その私こそが最も比類ないものである以上、反出生主義の問題意識は決してその意義を失わないのだ。

桜の話

 梅が散るのと入れ替わりで桜が咲いてきた。
 満開の桜、特に夜桜を眺めていると、容易にうつつを抜かしてしまう。きれいだなあと思う。

 この時期、(私の勝手な印象では)おじさんたちが「桜は散り際が美しい」とよく口にしている。私はその言葉の裏に「俺わかってますよ感」が感じられて正直苦手なのだが、散るからこそ惜しむ心が生まれ、惜しむからこそ美しく感じる側面は確かにあると思う。

 もちろん、散り際には散り際の良さがある。そよ風のなか、はらはらと落ちてくる桜吹雪をぼんやり見上げていると、俺はこのまま死んでもいいやという気分になる。その気分はとても心地よくて、いったん始まってしまうとなかなか終われない。

 また、美しさが失われる美しさというのもある。たとえば、不謹慎な例ではあるが、数年前に首里城が燃えたとき、私はその光景を心の底から美しいと思った。美しさが失われることは、悪いとばかりは言い切れない。

 とはいえ、花は咲いてこそ花なんだから、咲いているときが一番花らしいに決まっている。花が一番花らしいということは、やっぱり花は咲いているときが一番きれいってことじゃないでしょうか。

久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
(陽の光がのどかな春の日に、どうして花はこうあわただしく散ってしまうのだろう)(『古今和歌集』より)

今年より春知りそむる桜花散るといふことはならはざらなむ
(今年はじめて春を知ったかのように咲きほこる桜の花よ、散るということは覚えないでおくれ)(同前)

 「はらはらと散ってはゆくが常に満開の桜」はどこかにないものか。

『臨済録』曲解 四

上堂 ―お堂での説法― その4

【原文】

上堂。云、赤肉團上有一無位眞人。常從汝等諸人面門出入。未證據者看看。時有僧出問、如何是無位眞人。師下禪牀把住云、道道。其僧擬議。師托開云、無位眞人是什麼乾屎厥。便歸方丈。

【日本語訳】

臨済がお堂にやってきた。
臨済「身体には無位の真人がいて、いつもお前たちの顔から出たり入ったりしている。まだそれがわかっていない者はよく見極めよ」
すると坊さんが出てきて
坊さん「無位の真人とはどのようなものですか」
臨済は椅子から降りると坊さんをとっつかまえて
臨済「言え!言え!」
坊さんが何か言おうとすると臨済は坊さんを突き放して
臨済「無位の真人なんてクソったれだ!」
臨済は部屋に帰った。

【コメント】

 スピード感があるのは結構だが、臨済はもっと言葉で丁寧に説明したほうがよろしい。「無位の真人」なんて聞きなれない単語を出しておきながら、いざ質問されるといきなり「言え!言え!」と詰め寄るのはいくらなんでも短気すぎないか(普段から何度も説明しているのにちっともわかってもらえなくてイラついていたのかもしれないが)。
 まあこの問答にどんな背景があったにせよ、ここでの臨済が説明不足であることに変わりはないから、今回のキーワードである「無位の真人」について、臨済に逆らって言葉を使って考えてみましょう。

【無位の真人】

 「無位の真人」とは何か。辞書には「無位:位のないこと、またその人」「真人:本当の人、悟った人」とあるが、「位のない本当の人」では何のことかよくわからない。

 そこで、まず真人について突っ込んで考えてみる。

 真人という言葉は道教(中国の民間宗教)でよく使われる言葉であり、『荘子』大宗師編に理想的な人間としての詳細な説明がある。臨済が『荘子』を読んでいたかはわからないが、真人を理解する手助けになるので一部引用してみよう。

何謂真人……登高不慄、入水不濡、入火不熱……不知説生、不知惡死……

真人とは何か……高いところに登っても怖くなく、水に入っても濡れず、火に入っても熱くない……生を喜ぶことを知らず、死を嫌がることも知らない……

 普通に読めば単なるスーパーマンである。実際、『荘子』において真人は超越的な人間として描かれている。

 しかし、そんなふうに読んでもちっとも感動しない。そんなスーパーマンはどこにもいないし、なろうと思ってもとうてい不可能である以上、われわれとは無関係な存在と言わざるを得ないからだ。
 練習すれば高いところには慣れるかもしれないが、水に入っても濡れないとか、火に入っても熱くないとか、そういうのはもはや練習とかそういう次元ではない。端的に不可能である。

 では、こう読んでみてはどうか。われわれはすでにそのような真人である、と。

 そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、実際そうなのだ。この馬鹿げた(しかし適切な)解釈を行うためのキーワードは「私」である。少し詳しく説明しよう。

 前提として、「私」には2つの意味がある。「みんなにとっての私」と「私だけの私」だ。「私」という言葉は一般的には前者の意味でしか使われないが、実は重要なのは後者である。ここをよくよくわかってほしい。逆に、ここがわからないと真人もわからない。

 例えば、「私が生まれる前も世界はあり、死んだ後も世界は続く」というのは当たり前のことに思える。いや、実際当たり前である。

 しかし、これはあくまで「みんなにとっての私」の話にすぎない。「私だけの私」の立場に立つならば、これは真っ赤な嘘でしかない。
 だって、私は私が生まれる前のことなんて端的に知らないし、死んだ後のことなんてもっと端的に知らないのだから。

 ……これもまた当たり前のことだと思うかもしれないが、簡単にそう思わないでほしい。これを当たり前だと思っていいのは世界で私ひとり(筆者)だけなんですよ、わかりますか? あなたがこれを当たり前だと思ったなら、それは端的に間違いです。

 およそ何かがあるならばそれは私においてあるのであり、私を離れては何もないのと変わらない。私とはすなわち世界そのものである。存在そのものである。そんな私はただひとり(この私!)しかいない。
 私は、真人をそのような私としてとらえている。

 ちなみに、ここでは「生まれる前と死んだ後」という時間を例に説明してみたが、これは自分と他人を例にとっても同じである。
 例えば、これも当たり前のことだが、盲人を除いてみんな目が見えると思っている。誰かが「私は目が見える」と発言し、実際に目が見えているように振る舞えば、その人は目が見えているとされる。至極当然である。
 しかし、これは間違っているともいえる。だって、本当に目が見えているのは私だけなのだから。何かが見えたなら、それを見たのはいつだって私なのだ。他人はまさに他人であることによって目が見えない。

【無位】

 このように考えてみると、「無位」は文字どおりの「位がない」の意味ではないことがわかるのではないか。「私」にとって位なんてものは1ミリも関係ない、いや位どころかあらゆる客観的な規定が当てはまらないからだ(あらゆる客観的な規定が当てはまるのは「みんなにとっての私」である)。

 だから、ここでの「無位」とは「言語で表現できるような特徴を持たないこと」の意味である。

 以上のことをまとめると、「無位の真人」とは「言語では表現できない私だけの私」のことであり、要するに悟りのことである(「上堂その2」参照)。これをより仏教っぽく表現するなら「仏性」で差し支えなかろうと思う。
 臨済が「真人」に加え「無位」という否定を含む語をわざわざ使っているのは、言語による一般化を相当に警戒しているものと見なければなるまい。

【面門】

 次の疑問は「面門」である。臨済は「無位の真人」が「面門」から出たり入ったりしていると言っているが、果たしてそれはどういうことか。
 「面門」には「顔」と「口」の2つの意味があり、それぞれで解釈が成り立つので順番に説明したい。まずは「顔」から。

 普通に考えて、私(=無位の真人)が顔から出たり入ったりするわけがない。というかそもそも顔から出入りするものなどない。臨済は何が言いたいのか。

 画面からすこし離れて、実際に人の顔を見てみてほしい。自分の顔ではいけないし、誰かの顔であっても画面や写真越しではいけない。できれば身近な人の顔を面と向かって見てほしい。そうすると相手の顔に何かを感じないか。
 顔なんて単なるタンパク質にすぎないのに、そこには明らかにタンパク質を超えたものがないか。相手の顔にはそれがまさに「相手」であることを主張するような、他人が持ちえないはずの「私としての私」がそこにあるかのように思わせるものがないか。それだ。それを見なければならない。

 臨済はそのようなものも「無位の真人」と呼んでいる、と考えることができる。

 だとすると、坊さんから出された「無位の真人とはどのようなものですか」という問いに対して、臨済がただ「言え!言え!」と激しく詰め寄ったのもうなずける。だってその問い自体を「無位の真人」が問うているのだから。
 自身がすでに答えであることを知らずにぬけぬけと問いを発するとは何たる間抜け! だから「ほらもっぺん言ってみろ! 今そこにお前の知りたい奴がいたぞ!」というわけだ。臨済は、臨済にとって「相手」として立ち現れてくるものそのものを、そのもの自身にわからせようとしたのである。

 次に「口」について。「口」での解釈には2種類ある。『荘子』的解釈と「私だけの私」的解釈である。まずは『荘子』的解釈から。
 「真人」の描写として、『荘子』大宗師編に次のような文がある。

真人之息以踵、衆人之息以喉。

真人はかかとで呼吸し、普通の人は喉で呼吸する。

 ここでのかかとおよび喉は「かかと(喉)まで吸いこむ/かかと(喉)から吐き出す」の意味であり、実際にかかとや喉で呼吸するわけではない。息はどのみち鼻や口から「出たり入ったりする」。
 これはいわゆる典故であり、臨済は『荘子』における「真人」をほのめかす形で「無位の真人が面門から出たり入ったりしている」などともったいぶった言い方をした。「お前たちは『荘子』の記述を思い出せ」というわけだ。

 これだけでも「面門=口」の解釈としては悪くないが、解釈をさらに精確にするために、「私だけの私」的解釈によって再度考えてみたい。

 少なくとも臨済的な立場に立つかぎり、われわれは悟りを一般化を拒否するものとしてとらえなければならないが(私が「上堂その2」で「仏性があるとすればそれはあくまで私一人にある」と述べたことを思い出されたい)、「面門=口」を「私だけの私」的にとらえることはまさに悟りの一般化の拒否に役立つからである。

 通常、われわれの口から出たり入ったりするものといえば、息や言葉があるだろう。われわれが生きていくにはこの2つの出入りは欠かせない。
 さて、息をするのは誰か。言葉を話すのは誰か。それをただ「われわれ」と表現してしまっては元の木阿弥である。ここでは他ならぬ「私」と表現しなければならない(だから、厳密には私が先に述べた「われわれはすでにそのような真人である」は間違いである)。

 私が生きるためには私が息をしなければならず、私が生きるためには私が言葉を話さなければならない。逆に言えば、息をしたなら私が息をしたのであり、言葉を話したなら私が話したのである。何度も言うが、その「私」をとらえよ。

 このように見ても、「顔」のときと同様に、臨済の「言え!言え!」を解釈することができる。すでに息をしている、すでに問いを話しているもの自体に向かって、それ自身が答えであることをわからせるためのやむを得ないやり方である、と。

 また、少しスピリチュアルな方向に考えをめぐらせて、当時の中国に「プシュケー」に相当する概念や言葉があったならそのような含みも持たせていたのではないかと思う。
 ちなみに、日本語訳で「面門」を顔と訳したのは、顔と口をいっぺんに表現できる単語を知らなかったのと、口は顔の一部だから顔と訳しておけば両方カバーできると思ったためである。

【おわりに―臨済の不足】

 臨済にとって、あえて言葉で説明しないことは「無位の真人」を直に理解させるための適切な方法なのかもしれない。いや、「無位の真人」にはそのような側面が確実にある。
 しかしながら、それでもこのやり方が粗雑であることに変わりはない。たとえ「無位の真人」が言葉では伝えられないものであっても、いや言葉では伝えられないものだからこそ、緻密に言葉で描写していかなければならないのではないか。言葉は真理を隠し人を惑わすものであると同時に、真理を示し人を導くものでもある。

 最後に、「無位の真人」に関する臨済の発言について、私は1か所違和感を感じた。
 臨済は「身体に無位の真人がいる」というが、ほんとうは「無位の真人から身体がはじまる」のではないか。「無位の真人」が「言語では表現できない私だけの私」だとしたら、身体は無位の真人の一部にすぎないからである。

長谷寺 祈りの回廊

はじめに

 2021年12月28日から12月31日までの4日間、私は奈良県桜井市にある長谷寺の朝勤行に参加し、12月31日の夜には観音万燈会を訪れてきた。長谷寺でのひと時は個人的にとても良い体験になったので、ここでは長谷寺とそのイベントについて紹介するとともに、今回の長谷寺参拝で私が自分の至らなさを恥じたことについても併せて触れておく。

長谷寺について

 長谷寺は8世紀前半に創建された真言宗豊山派の総本山である。場所は奈良県の北部、桜井市の東寄りに位置し、山の中腹に本堂を構える。最寄り駅は近鉄大阪線長谷寺駅で、東京から約4時間、京都から約1時間半かかる。長谷寺には国宝の本堂や重要文化財の本尊十一面観世音菩薩立像(約10メートル)、同じく重要文化財の登廊(399段)など様々な文化財があり、境内に牡丹などの花が咲き誇ることから「花の御寺」とも呼ばれ、秋は紅葉が鮮やかで美しい。門前には旅館やお土産屋が立ち並んでおり、ランチやショッピングも楽しめる。個人的には草もち、奈良漬、山菜定食がお気に入りだ。

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長谷寺本堂(国宝)

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登廊(重要文化財

朝勤行とは

 長谷寺朝勤行では、毎朝午前7時(夏は午前6時半)から約30分かけて読経や法話などを行う。参加費は1回につき500円で、開始約10分前から注意事項などの事前説明があるためそれまでに受付を済ませておくことが望ましい。朝勤行終了後、参加者のうち希望者は本尊の特別参拝ができる(別料金)。朝勤行は本来であればお坊さんたちだけでやるのだろうが、奈良県観光局主催の「祈りの回廊」という社寺振興企画のひとつとして一般参拝客にも参加が許されている。
 参加にあたっては始発で行かなければ間に合わないため(場所によっては始発でも間に合わないので注意!)、朝4時半くらいには起きて長谷寺へと向かう必要がある(長谷寺近辺の旅館に泊まればもう少し寝ていられるし電車に乗らなくて済む)。冬季はまだ外が真っ暗で寒さが骨までしみてくるが、長谷寺駅から長谷寺まで20分歩き、さらに長谷寺に着いてからも登廊を399段上らなくてはいけないため、本堂にたどり着くころには汗をかくほど熱い。受付を済ませて本堂の中に入ると、若いお坊さんが経本、袈裟、防寒用のブランケットを渡してくれる。座布団に座ってしばらく待っていると太鼓の音が響き、お坊さんたちが一列になってぞろぞろと入ってくる。朝勤行の始まりだ。

 朝勤行は、錫杖経→般若心経→法華経(観世音菩薩普門品第二十五)→諸真言→遥拝→法話という流れで進んでいく。初心者にはどれも目新しい内容ではあるが、その中でも長谷寺の朝勤行の大きな特徴は、太鼓をどんどこどんどこ叩きまくることと、読経の声がデカいことと、読経のスピードが速いことである。また、最初の錫杖経にフシをつけて歌うように唱えることも長谷寺の特徴のひとつだ(とお坊さんが説明してくれた気がする)。こうした特徴があるから、長谷寺の朝勤行にはまるでロックバンドのライブのような雰囲気がある。私はこれを勝手に「長谷ロック」と呼んでいる。
 次に載せる動画は、朝勤行のものではないが、錫杖経、般若心経、法華経(一部)の雰囲気を伝えるものである。2つ目の動画は1分15秒あたりから読経が始まる。

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 朝勤行でお坊さんたちに合わせて読経するかどうかは参加者個人の勝手だが、私はデカい声で読経するとすっきりするので読経することにしている。初回は読経のスピードについていくだけで一苦労でも、回数を重ねていくうちに慣れてきて問題なく読めるようになる(ただし回数を重ねる人はそもそも稀である)。私に言わせれば、長谷寺で読経することはカラオケで歌ってすっきりすることに等しい。カラオケに来て歌わないのは損であるのと同様に、長谷寺に来て読経しないのは損だ。
 私が長谷寺の朝勤行に参加するのは実は今回が初めてではなく、過去に数回参加したことがある。いずれもめちゃくちゃ良かったので、今回は4日連続で参加してみた次第である。

 しかし、観音万燈会に参加したのは今回が初めてだった。というかそもそも観音万燈会の存在すら知らなかった。今回、観音万燈会に参加できたのは、12月31日の朝勤行を終えて長谷寺駅に向かって歩いていたら、民家の壁に貼ってあった観音万燈会のポスターがふと目に入ってきたからだった。私はこれも何かの縁だと思い、夜になったら再度長谷寺を訪れてみることにした。

観音万燈会

 案内が遅れたが、観音万燈会とは新年を祝うために大晦日の19時から元日の朝5時まで本尊の十一面観世音菩薩立像をご開帳するとともに、全国の信徒から寄せられた灯籠を長谷寺の回廊にお供えするものである。要するに長谷寺流の年越しイベントだ。

 21時過ぎに再び長谷寺に着いた私は、その景色に思わず見とれてしまった。各地から寄せられた灯籠は399段の登廊を埋め尽くすだけでは足りず、参道まで長々と延びていたのだ。灯籠の側面には寄進者の氏名や団体名が記されており、それぞれの祈りが火に燃えて大みそかの静謐な夜を照らしていた。その光は参道・登廊に沿って揺らめき、長谷寺本堂へと参拝客をいざなっていた。

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長谷寺参道

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登廊

 この灯籠に沿って歩いていると、この灯籠は年越しの夜だけにあるのではなく、いつもここにあるのだという気がしてきた。年越しの夜だからたまたま目に見える形で灯籠が置かれているだけで、祈りは常にここにあったのだろう。

 朝勤行に何度も参加したことで、私にいささかの自尊心が芽生えていたことは否定できない。朝勤行をしたのだから私はどこか成長したはずだ、一度だけ参加してやめる連中とは違うはずだ、と。しかし、私は何もわかっていなかった。ただのひとつもわかっていなかった。普段からあるこの祈りに、灯籠がないと気づけないようではまったくもって未熟だ。私は自分が恥ずかしかった。

 長谷寺にあふれる祈りに気づいた翌日、東京に戻ってきた私が夜道を歩いていると、街の明かりがすべて祈りに見えてきた。もちろん街の明かりは長谷寺の灯篭のような直接的な祈りではない。しかしそれでも、住民たちの生活を支える街の明かりにどこか尊さを感じた。
 違って見えたのは街の明かりだけではなかった。次第に周囲のものすべてが祈りに見えてきた。生きものは生きる祈り、食べものは生かす祈り、人の作ったものは生活への祈り、天地は世界の祈り……

 今回の教訓は2つ。わかった気にならないこと。あらゆるものは祈りでもあること。

『臨済録』曲解 三

上堂 ―お堂での説法― その3

【原文】

師因一日到河府。府主王常侍、請師陞座。時麻谷出問、大悲千手眼、那箇是正眼。師云、大悲千手眼、那箇是正眼、速道速道。麻谷拽師下座、麻谷卻坐。師近前云、不審。麻谷擬議。師亦拽麻谷下座、師卻坐。麻谷便出去。師便下座。

【日本語訳】

ある日、臨済は河北に行った。府知事の王さんは臨済に説法をお願いした。すると麻谷(まよく、僧侶)が進み出て臨済に質問をした。
麻谷「大きなお慈悲の千手千眼の観音様は、いったいどれが本当の眼か」
臨済「大きなお慈悲の千手千眼の観音様は、いったいどれが本当の眼か、早く答えてみよ」
麻谷は臨済を席から引きずり下ろしてそこに座った。臨済は麻谷の前に進み出て
臨済ごきげんよう
とあいさつをした。麻谷が何か言おうとしていると、今度は臨済が麻谷を席から引きずり下ろしてそこに座った。すると麻谷は外に出ていき、臨済も席を降りた。

【コメント】

 何が起きているのかよくわからない人が大半だと思う。いきなりこれを読んで「わかるわかる!」となる人はごく少数(の変わり者)だろう。
 私も最初は例に漏れず「何だこれ……」となったものだが、この問答を何回も読んでいるうちに私にとって納得のいくような読み方で読めるようになってきた。以下、それについて記しておくことにする。

 まず前提として、麻谷が問うた「大きなお慈悲の千手千眼の観音様は、いったいどれが本当の眼か」とは、千手観音の持つ千個の眼のうちどれが本当の眼かを問うものではないことに注意が必要である。この質問内容はあくまでも比喩であり、「本当の眼は右から138個めのやつです」なんて答えは臨済も麻谷もはじめから期待していない。底本として使用した入矢義高訳(岩波文庫)や柳田聖山訳(中公文庫)では「正眼」を「正面の眼」と解釈しているが、私はこの解釈では質問内容を比喩として扱い切れていないと思う。もし麻谷が千手観音の正面の眼を問題にしていたのだとすれば、見る視点によってどれが正面の眼かが変わる、といったごく平凡な事実しか導き出すことができない平凡な問答に過ぎなくなってしまう。(余談だが、千個の眼が平面上にびっしり並んでいたり対象をドーム状に包むように配置されていたりすれば千個の眼で一斉に焦点を合わせることができるから「正面の眼=すべての眼」として答えがきっちり定まるかもしれないが、そんなキモい千手観音はこっちからお断りである。千個の眼は十一面観音の顔のように円周に沿って外側を向いていると理解したい。)
 それなら麻谷の問うた「正眼」すなわち「本当の眼」とはいったい何なのかといえば、それは「実際に見える眼」のことである(このように読むのが正しいというより、このように読まなければ問答として深みもおもしろみもないからこう読みたい)。したがって、彼の問いのすべてを比喩抜きで解釈すると「世界に数多くある眼のうち本当に見える眼はどれか」ということになる。
 問いの主体が千手観音ではない理由は、「本当の眼」はそもそも千手観音にはひとつもないから問いの主体が千手観音である必然性はまったくなく、千手観音は世界にある数多くの眼を例えているにすぎないからである。確かに千手観音は(不思議な神通力によって)すべてをお見通しかもしれないが、麻谷にとって千手観音にいくら眼があろうとそれは「実際に見える眼」ではない。麻谷にとって「本当の眼」とは現に見えている眼、すなわち麻谷の眼でしかありえない。
 麻谷はこう問いかける一方で、この問いが臨済には通用しないことなど百も承知である。麻谷は、臨済もまた「本当の眼」とは臨済の眼でしかありえないことをわかっており、それゆえこの問いに関して正論をぶつけ合っても議論は平行線をたどるばかりであることを見抜いている、と薄々気づいている。麻谷はそれを承知の上で臨済がどれくらい「わかっているか」を様子見しているのである。
 臨済はこの問いを受けて、問いをそっくりそのまま返してみせる。すなわち、「お前はお前の眼が本当の眼だと思っているようだが本当の眼は当然俺にしかない。互いに自身の眼が本当の眼であるという点では両者とも正しいが、本当の眼は片方にしかないという点では両者のうちどちらかは間違っている(俺に言わせれば間違っているのは明らかにお前だが)。さあそれを踏まえたうえで何か言ってみせろ」というわけだ。
 もうここまでくれば言葉で何かを語るのは堂々巡りに陥るほかないことは明らかだろう(といっても問答は単に一往復しただけだが、この2人は一往復の問答で哲学的水準をここまで引き上げたことになる)。そこで麻谷は行動に出ることにし、臨済を席から引きずり下ろす。「本当」はお前ではなく俺にあるんだから、椅子に座って主役ヅラしてないで本当の主役である俺に席をよこせ!
 臨済はそんなことをしても無駄だとばかりに余裕のあいさつをしてみせる。席を横取りしたって何になる、主役は何があろうと常に俺なのだから、お前が何をしようとお前は絶対に主役にはなれないのだ。ごきげんよろしゅう、座り心地はいかがかな。まあ何ともおちょくったあいさつである。
 臨済はまた何か言おうとする麻谷を、その言うという行為の無駄さを排除するように席から引きずり下ろし、自分がもとの席に座る(そもそも臨済はゲストなのだ)。
 麻谷はもはや臨済相手にやるべきことがないので、さっさと出て行った。臨済ももはやすべきことがないので席から降りた。問答はこれで一件落着、心温まる円満解決である。ここにはもはや当初の「本当」をめぐる問いそのものがない。両者は問いに答えを与えたのではなく、問いのない地平に行くという解決をしたのだ。

【日本語訳Ver.2.0】

ある日、臨済は河北に行った。府知事の王さんは臨済に説法をお願いした。すると麻谷(まよく、僧侶)が進み出てきて臨済に質問をした。
麻谷「世界に数多くある眼のうち本当に見える眼はどれか(本当に見える眼は当然俺にしかないから、お前は俺の眼が本当に見える目だと答えなければならない。だが、この問いをめぐるアポリアにお前はすでに気づいているだろう。それを知ったうえでお前がこの問いにどう答えるのか、ひとつ試してやる)」
臨済「世界に数多くある眼のうち本当に見える眼はどれか、早く答えてみよ(お前はお前の眼を本当の眼だと思い込んでいるが、本当に見える眼とは当然俺の眼のことだ。だからお前こそ俺の眼が本当に見える眼だと答えなければならない。だが、お前の「本当の眼」も俺の「本当の眼」も、当人にとってはそれぞれ正しい一方で、本当の眼は現に俺にしか(お前にとってはお前にしか)ないのだから、どちらかは必ず間違っている。「本当」はこのようにどこまでも言葉ではとらえきれないのだから、この問いにはそもそも答えようがないぞ)」
麻谷は臨済を席から引きずり下ろしてそこに座った(言葉ではもはや埒があかないことは互いにわかっているようだな。だが、それでもやはり本当とは俺だけのためにあり、それゆえ俺だけが主役なのだということを、今日主役のお前の席を奪い取ることによってわからせてやるわ)。
臨済は麻谷の前に進み出て「ごきげんよう」とあいさつをした(俺こそがいつだって本当であり主役だということは、お前がその席に座ったところで何も変わらない。お前は俺の本物の眼によって見られたものでしかないのだ。さて、その席に座れて満足ですかな、ごきげんよろしゅう)。
麻谷が何か言おうとしていると、今度は臨済が麻谷を席から引きずり下ろしてそこに座った(もう問答はいいだろう。今日は俺がゲストなのだからその席は返してもらうぞ)。
すると麻谷は外に出ていき(俺もわかっているしこいつもわかっている。それがわかった以上、もうやるべきことはない)、臨済も席を降りた(一件落着)。

『臨済録』曲解 二

前回から話が続いているので、その1を読んでいない方はこちらから

上堂 ―お堂での説法― その2

【原文】

有座主問、三乘十二分教、豈不是明佛性。師云、荒草不曾鋤。主云、佛豈賺人也。師云、佛在什麼處。主無語。師云、對常侍前、擬瞞老僧。速退速退、妨他別人諸問。復云、此日法筵、爲一大事故、更有問話者麼、速致問來。你纔開口、早勿交渉也。何以如此。不見釋尊云、法離文字、不屬因不在縁故。爲你信不及、所以今日葛藤。恐滯常侍與諸官員昧他佛性。不如且退。喝一喝云、少信根人、終無了日。久立珍重。

【日本語訳】

学僧「悟りを得るための方法論や諸々の経典は、仏性(=人々が持っている悟りのための素質)を明らかにするものではありませんか」
臨済「荒地に鋤は入らん」
学僧「仏が人をたぶらかすわけはないでしょう」
臨済「それじゃ仏はどこにいるんだ?」
学僧「……」
臨済「王さんの前でわしをだまそうとしおって。さっさと下がれ、他の者の質問の邪魔だ」

臨済「今日の集まりは禅の要点を示すためだが、他に質問のある者はおらんのか、さっさと問うてみるがよい。ただし、お前たちが口を開くやいなや、それはもう的外れになってしまうぞ。どうして言葉が的外れになるのかについては釈尊も言っているではないか、『真理は言語から離れている、なぜなら真理には原因があるわけでもなければ成立条件があるわけでもないからだ』と。それなのにお前たちときたら釈尊の言葉に徹し切れていないから、今日は仏性についての話がこんがらがってしまった。王さんやお役人さんたちがご自身の仏性を曇らせてしまわないか気がかりだ。問答はここらで止めにしたほうがよかろう」とここで一喝。
臨済「信念が足りないようじゃいつまでたってもわからんぞ。今日は長い間ご苦労だった」

【コメント】

 次は学僧が臨済の相手になった。
 学僧が最初にいろいろ言っているのは、要は仏性という悟りの根本が既存の方法論や経典によってすでに明らかにされていますよね、ということである。これは先に登場した坊さんが「仏教の本質とは何ですか」と問い、臨済がそれに対して一喝したことを踏まえているだろう。学僧としては、一喝なんてよくわからんことをしなくても、仏教の本質はテキストにちゃんと書いてあるんだから読めばいいじゃないですか、というわけだ。
 これに対して臨済は、荒地に鋤は入らないぞと答える。つまり、そんな考えをしているようでは(=荒地に)仏性すら何の役にも立たない(=鋤は入らん)、あるいは、お前の考えるような仏性には(=荒地に)手の施しようがない(=鋤は入らん)、と臨済は言っている。いずれにせよ、臨済は学僧の見解を軽くあしらって顧みない。
 学僧は臨済のこの答えに甚だ不満である。彼にしてみれば悟るための方法論や経典は仏に等しく、それを否定することは仏を否定することに他ならないからだ。かくて学僧は抗議の声を上げる。臨済よ、お前は悟るための方法論や経典ではダメだと言うが、それでは仏が嘘をついていることになるではないか。間違っているのはお前ではないのか。
 この抗議に対しても臨済はあっさりとやり返す。それじゃお前の言う仏はいったいどこにいるんだ、俺が間違っているのならその正しい仏とやらを連れてこい。
 臨済のこの鋭い返しに学僧は何も答えられない。学僧には自らの正しさを保証するものがテキスト以外にないからだ。臨済にテキストの正当性の無根拠さを暴かれてしまった以上、学僧はただ押し黙るより仕方がない。彼は仏性という言葉とその意味は知っていても、それが指し示す当のものは知らなかったのだ。これは例えば、ある人が「うれしい」という言葉を知っており、それが「心がうきうきして楽しいこと」を意味すると知っていても、「うれしい」を実際に体験したことがなければその「うれしい」は活きていないのと同じである。その人は「うれしい」を知っているのかもしれないが、わかってはいない。
 臨済はそのようないわば死物と化した仏性を退け、学僧を手厳しく追っ払った。なまじっか学問をかじってわかった気になっている奴なぞ、痛い目に遭わせてつまらないプライドをへし折ってやるに限る。学僧はお偉方や同僚の前でメンツ丸つぶれに違いないが、この衝撃で自身の理解する仏性が死物であることに気づけたか、どうか。

 それはさておき、次に臨済釈尊の言葉を引用しつつ仏性と言語が無関係であることを説く。釈尊曰く、『真理は言語から離れている、なぜなら真理には原因があるわけでもなければ成立条件があるわけでもないからだ』と。要するに釈尊(及びそれを引用した臨済)は、真理(=仏性)には成立のための過程や経緯がなく、そこに説明はつけられないと言っているのだ。真理とはただむきだしの真理なのである。
 臨済は坊さんや学僧たちが釈尊の言葉に徹し切れていないことを叱責すると、さっさと問答を終えてしまった。なんともあっけない幕切れである。

【真理って何だ】

 釈尊は『真理には原因も成立条件もない』と言う。だが、真理とはそもそも何だ。原因とも成立条件とも関係がないものなどこの世に存在するのか。実際に身の回りを見渡してみても、あらゆるものは原因とも成立条件とも密接に関係しているように思われる。
 偶然や超常現象はどうだろうか。確かに、偶然であれば原因や成立条件抜きで「ただそれがある」がひとまず成り立つだろうし、超常現象は原因や成立条件では説明がつかない。しかし、ここで「原因」と訳した「因」、「成立条件」と訳した「縁」は、論理あるいは必然を包括するだけでなく、偶然や超常現象をも包括している。道で知人にばったり会うことは偶然の出来事であり、目の前の皿がいきなり宙を舞えば明らかに超常現象であるが、知人にばったり会うのも何かの縁、超常現象が起こるのも何かの縁である。とすると、世界に起こるあらゆる出来事は「因」と「縁」の網の目の中にある、と言えそうである。
 問題は振り出しに戻ってしまった。釈尊は、真理(仏性)は原因や成立条件によって成り立つものでもなければ、かといって偶然によって生じるものでもないと言う。だが、そんな説明のつけようもないものなど果たして存在するのか。釈尊が「法(真理)」と呼び、臨済が「仏性」と呼んだものとはいったい何なのか。仮にそんなものがあったとして、われわれはそれを理解できるのか。

 この問いに対する私の見解はこうである。――そんなものは、存在する。むしろ世界にはそんなものだけが真に存在する。

 それならいったい何が真理か、何が仏性かといえば、私はこれだと思う。これが今現に自分だけに見えているということ、これが今現に見えている自分だけが在るということ、にもかかわらずこれはいつも自分を超えてくるということ。世界のすべてはこの事実から始まっているのであり、それゆえこれは因や縁によって成り立つものではない(逆に因と縁がこれに基づいているのである)。このかけがえのない(と同時にごく当たり前の)1つの事実が、私には真理と呼び仏性と呼ぶに値する。
 確かに釈尊臨済の言うとおり、因でも縁でもないもの(=真理、仏性、これ)を言語で正確に表現することはできない。いや、厳密に言うなら、言語で表現した瞬間にそれは客観的世界の単なる一存在として意味づけられ、因または縁の性質を帯びてしまう。それができないものこそが真理であり仏性でありこれであったはずなのに、である。このことを私の表現に即していえば、これとは私だけのかけがえのない事実であったはずなのに、それを言葉で表現することによって、これは誰もが必然的に持つ客観的事実として(例えば各人の脳に起因する主観的な認識作用として)一般化されるのだ。

 この点からすると、法はまだしも仏性という言葉は誤解を招く表現である。仏性は「誰もが持つ悟りのための素質」という意味だが、仏性とは因でも縁でもないのだから、仏性は「誰もが持つ」悟りのための素質ではありえない。仏性があるとすればそれはあくまで私一人にあるはずである。
 だがそれにもかかわらず、仏性とは「誰もが持つ」悟りのための素質なのだ。われわれ(!)が言語で表現する以上、仏性はそれ以上の意味を原理的に持ちえないし、またそれを判断するわれわれ(!)はそれを誤りであると言う立場に原理的に立てない。仏性が私一人にあることは、私にそうとらえられる限りにおいて真実だが、私とは私以外のすべての人間が自分を指して使える言葉なので、各人は自分自身を指して「仏性が私一人にあることは、私にそうとらえられる限りにおいて真実だ」と言うことができる。だから、仏性が「誰もが持つ悟りのための素質」であることは、徹底的に間違いであると同時に徹底的に正しい。ここがわからないと臨済の喝をひたすら食らうばかりである。

 釈尊臨済の言うとおり、言語は真理に届かない。とはいえ、仏性の例のとおり、真理は常に言語化され続ける。また、真理の生成の場面においても、真理には言語が必要だという側面がある。もし言語がなければそれが「真理」だとはわからないからである。法を法としてとらえ、仏性を仏性としてとらえ、これこれとしてとらえるためには、いったん言語を通過しなければならない。真理と言語とが不即不離の関係のうちに真理(真理そのものと「真理」という言葉)を形成し、われわれは前者を後者にいわば格下げして共通化し、後者から前者に立ち返り続けるのである。
 この観点に立つかぎり、釈尊臨済に反して、「真理は言語と関係がある、なぜなら真理には原因があり成立条件もあるからだ」と主張することができる。いやむしろそう主張することが必須だと言わざるを得ない。釈尊臨済が言語を使用している以上、釈尊臨済の言いたいことは実は言えないのだと指摘することはどこまでも可能でありかつ有効だからである。
 真理が上述のようなものだとすれば、悟りには常に悟り続けなければならない側面があることになる。真理には言えなさと言えてしまうさの2つの側面があり、またわれわれがこの2つの側面によって真理が真理だとわかる以上、どちらかにとどまり続けることは必然的にできない。言えなさから言えてしまうさに転落し、言えてしまうさから言えなさに立ち返る運動の継続、及びその運動の頻度や質を高めていくことが、悟りには確実に必要になる。その意味で、修行は決して終わらない。

『臨済録』曲解 1

上堂 ―お堂での説法― その1

【原文】

府主王常侍、與諸官請師陞座。師上堂云、山僧今日、事不獲已、曲順人情、方登此座。若約祖宗門下、稱揚大事、直是開口不得、無你措足處。山僧此日、以常侍堅請、那隱綱宗。還有作家戰將、直下展陣開旗麼。對衆證據看。僧問、如何是佛法大意。師便喝。僧禮拜。師云、這箇師僧、卻堪持論。問、師唱誰家曲、宗風嗣阿誰。師云、我在黄檗處、三度發問、三度被打。僧擬議。師便喝、隨後打云、不可向虚空裏釘橛去也。

【日本語訳】

府知事の王さんが部下と一緒に臨済に説法をお願いした。臨済はお堂に上がってこう言った。
臨済「わしは今日、どうにも仕方なしに、なんとか世間のならわしに従ってこの説法の場に座っておる。禅について簡潔にまとめ、重要なことを大っぴらに語ろうとしても、わしはすぐに口がきけなくなってしまうから、君たちには取りつく島もない。とはいえ、わしは今日、王さんに強くお願いされてやって来たのだから、禅の要点を隠すわけにもいくまい。さあ、ここに一戦やってやろうという気概のある者はおらんか。皆にその腕前を証明して見せてみよ」
坊さん「仏教の本質とは何ですか」
臨済は一喝を入れ、坊さんは臨済に礼をした。
臨済「この坊さん、話ができるな」
坊さん「先生は誰に学び、誰の教えを受け継いだのでしょうか」
臨済「わしは黄檗のところで三度質問して三度ぶたれたものだ」
坊さんは考えあぐねてしまった。臨済はすかさず喝を入れ、坊さんをぶっ叩いてからこう言った。
臨済「空中に釘を打ち込むような真似をするな」

【コメント】

 臨済らしいスピード感のあるやり取りである。臨済のやり取りはだいたいこんな調子で進むから、読み手はそのスピードに遅れないように注意する必要がある。大事なのは遊び心、問答をあまり真面目に考えすぎないことだ。
 臨済の最初の謙遜はどうでもいいとして、臨済の挑発に乗った坊さんが1人、いきなり仏教の本質について切り込んだ。これはなかなかの胆力とスピード感、臨済相手に一戦やってやろうという気概がうかがえる。
 一方の臨済は答えるどころかいきなり一喝を食らわせてしまう。果たしてこれはいったい何だろうか。臨済は空気が読めないコミュ障なのか、それとも禅の要点を示すと言っておきながら答えを持ち合わせていないホラ吹きなのか。
 どちらでもない。臨済の一喝の趣旨は、仏教の本質が言語で表せないことにある。厳密に言えば、仏教の本質は言語には一応なるのだが、その言語はもはや本質を乗せていないのだ。およそ哲学とか思想とかで問題とされることの根本は、実は言語には乗らない。逆に、あらゆるもののうちで言語に乗らないものがわかれば、問題の根本はすでにつかんだことになる(さて、言語に乗らないようなものなど果たしてあるだろうか?)。
 このことについて例をとって考えてみよう。般若心経ふうに仏教の本質を「空」だとしてみる。すると、空とは内容的規定がないことを意味するにもかかわらず、仏教の本質を「空」という言葉で表現した瞬間、仏教の本質とは空すなわち内容的規定がないことである、という内容的規定に変貌してしまうのだ。これでは仏教の本質が、その本質である「空」という言葉を使ってしまったことによって、逆説的に覆い隠されてしまうではないか。臨済が本質への問いに対して一喝をもって答えたのは、そもそも本質を問うことそのものの矛盾に気づいているのか、との問い返しに他ならない。
 この問い返しに坊さんは礼をもって応えた。これだけでは坊さんが問い返しの意味を十分に理解できたのか、はたまた一喝自体に何らかの意味を(余計に!)見出してしまったのか、区別がつかない。そこで臨済は問答を続けようと判断する。
 続いて坊さんは臨済の師匠について質問した。これはいたってシンプルな質問だ。これに対する臨済の答えもいたってシンプルで、黄檗のもとでよくぶっ叩かれたと素直に教えている。
 問題は、この臨済の答えに対するリアクションを坊さんが考えあぐねてしまったことにある。坊さんは聴衆の面前、また臨済の面前、何か「気の利いた」ことを言おう、あるいはやろうとしたのだろうが、その作為的な態度が余計であった。自分の師匠は黄檗ですと素直に言われたのだから、坊さんも素直にはいそうですかとでも言っておけばよかったのだ。このシンプルなやり取りのどこに気を利かせる必要があるか。そんな窮屈な態度のどこに悟りがあるか。こうして坊さんの作為的な態度はたちまち臨済の指導対象となったのである。
 臨済の指導はなかなかに手厳しい。一喝だけでなく容赦なくぶっ叩いてもいる。だが、これは単なる体罰ではなく、理にかなった教育的な側面がある。
 一喝されると人はビビるしぶっ叩かれると人は痛みを感じる。そのようなビビりや痛みには、少なくともそれを感じる瞬間においては、余計な作為が入り込む余地はない。一喝されて「わっ!」、ぶっ叩かれて「痛っ!」、それ以上でもそれ以下でもない。いたってシンプルで素直である。
 先の問答も、この水準で行うべきだった。臨済の手厳しい指導はこの水準を指し示すためのものだったのだ。彼の言う「空中に釘を打ち込むような真似をするな」とはすなわち余計な作為をするなという意味である。釘は素直に木に打ち込んでおけばよく、問答は素直に行えばよいのだ。