申如録

日常生活で考えたことなど

憾満ヶ淵

 JR/東武日光駅を降りて日光東照宮へとまっすぐ進み、神橋を渡って左に曲がり大谷川をさかのぼるようにして道なりに進んでいくと、慈雲寺と書かれた門がある。直線距離にして駅から約2.5キロ、東照宮から少し外れた人気のないところにあるからだろう、辺りはひっそりとして川のごうごう流れる音がただ響いている。他には鳥の鳴き声が時々聞こえてくるだけで、人里から隔絶した感じが開放的でもあり少し心細くもある。

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慈雲寺入口

 慈雲寺のこぢんまりとした本堂を抜けて奥へ進むと道は次第に細くなり、大谷川の激しい流れがすぐ右に見えるようになる。透明度の高い水はあちこちでエメラルドグリーンの川面を作り出し、巌に生じる大量の泡沫はその川面を青竹色に染め直している。
 淀みなく流れる清流は目に心地よく、水と巌がぶつかる地鳴りのような音は耳に心地よい。森と清流が運んでくる澄んだ空気は、身体も心も洗い流してくれるような気がする。周囲に人がいないのもこうした心地よさに輪をかけているのだろう。

 少しの間歩いていると、化け地蔵と呼ばれている70体ほどのお地蔵さまがずらりと並んでいるのに出くわす。お地蔵さまの中には、首のないもの、石のかけらになったもの、様々なものがあるが、それぞれに赤い帽子がちゃんとかぶせてある。お地蔵さまはたとえ異形になってもやはりお地蔵さま、日光に住む人々の、旅人の、心の拠り所である。

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化け地蔵、大谷川をじっと見据えている

 化け地蔵を左に歩みを進めてゆくと、にわかに「憾満ヶ淵(かんまんがふち)」の標識がぽつんと立っている。その標識に従って右に目を向けると、なるほど大谷川に突き出した岩に何やら梵字が彫ってあるのがうっすら見える。梵字不動明王真言「かんまん」と書いてあり、人々はこれを指して「憾満ヶ淵」と呼ぶらしい。
 憾満ヶ淵は、男体山、大谷川、梵字が織りなす名勝である。霊的なパワーはさほど感じないが、雄渾な自然が醸し出す緊張感がある。

 化け地蔵と大谷川に挟まれたわずかな面積の渓谷には、そこかしこに石が積み上げられている。石のひとつひとつは片手で持てそうなくらい小さく、風でも吹けば崩れてしまうのではないかと思うほど心許ないが、激しく流れる川のすぐ横で静かにバランスを保っている。石の塔は5,6段のもあれば2段しかないものもある。

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石の塔

 川、石の塔、地蔵……足場はかなりがたがたしているが、それでも賽の河原を彷彿とさせるには十分だろう。

 石の塔は、父母よりも早く死んでしまった子供達が、意地悪な鬼に蹴飛ばされながらもこつこつと積み上げてきたものである。石のひとつひとつが片手で持てそうなほど小さいのは、石の塔を作ったのが子供達だからに他ならない。
 渓谷で手ごろな石を見つけては、ひとつ、またひとつ、上へ積み重ねてゆく。そしてそのたびに、蹴散らされる。彼らがいったいどれほどの時を過ごし、どれほど怯え、どれほどの涙を流してきたか、私には何とも想像がつかない。ただ、少なくとも子供達にとっては永遠のように長い時間であったことは間違いない。

 石の塔がこのようにして残っており、かつ周囲に誰の姿もないということは、地蔵菩薩がいつしか紫雲に乗ってここに降り立ち、子供達を極楽浄土へと連れて行ったのである。意地悪な鬼に散々泣かされてきた子供達は、ついに阿弥陀の懐に抱かれに行った。化け地蔵が大谷川の石の塔に向かってずらりと並んでいるのはその痕跡でもある。

 菩薩の慈悲にあずかった子供達は、虚空に花降る景色を見よう。黄金の雲の満天にたなびくのを見よう。伽羅の柔らかな香りに包まれ、それまで鬼に怯え強張っていた身体は次第にほぐれていったろう。
 子供達からすれば、まるでこの世の悪いものすべてが、それを包むようにして広がっている眩い慈悲の中に飲み込まれてゆくように思われた。
 そして子供達は菩薩に向かって、生きている間も死んでからも自分達がどんなに苦しんだか、どんなに涙を流したか、拙い言葉で一生懸命に話しかける。菩薩は子供達を優しく抱きとめつつ、いまだ河原で石を積む子供達のために救いの誓願を新たに立てる。

 憾満ヶ淵に生じては消える、玉のような水しぶきは、蓋し虚空に降りしきった花びらの水面に浮かんだのが、巌に当たって輝くのである。